1ヶ月前から

続いている

「違和感」が

ドッカーンと

こたえあわせのような

出来事を起こしてくれました。





過去のブログを読むと

なんとなくは気づいていた私だけど

もう確信です。




そのひとつはね。



心配されることが不快感





前までは


心配されたら


”気に掛けてくれてるんだ”

”優しいな”

”なんか癒されたな”


って感じてたの。




でもね、今は


心配されるって全然嬉しいことじゃない。

私が不幸っていうことが根底にあって

の言葉でしょ?

私が幸せになれる存在だということを

信じていないってことでしょ?

ありがた迷惑。

うっとうしい。



私、なにも困ってないし

傷ついてるわけでもないし

悩んでないし

不幸でもない。



なのにどうしてそんなに

心配されないといけないわけ?!


って感じるようになりました。





そして


わたしを

できない者扱いしないでくれる?

不幸者扱いしないでくれる?

いつまでも”心配しないといけない子”な

目で見ないでくれる?



って大きな不快感が内側からあふれ出てきた!!





そして、気づいたの。




私、心配してくれる誰かのために

(その人を満たしてあげるために)

不幸な子を演じてたんじゃないのか!って。




そしたら今度は強烈な怒りがわきあがってきた。




この怒りは

不幸がふさわしいと

本当のわたしを押し込めていたことへの怒り。





だって私、

不幸な子なんかじゃない!!










心配されることを嬉しい心地良いと思っていた間は

心がとても傷ついていた時だと思うんだ。。。




だけど気づいたんだよね。

自分の本当の価値に

本当の自分に。




だからもう

あなたが心配なの!

とても心配なの。

なんて言わないで。





私はもう、そこにはいない。

最大の幸せに向かって

歩んでいるから。