みーちゃんがAT/RTと病名がわかり、
これから約半年の辛い治療が始まる前に、
家族会議を行いました。
今は誰1人と風邪を引くことすら許されない、誰1人と倒れれない状況。
下の子も毎日元気に保育園へ通ってくれていました。
私はこの入院していた病院が地元みたいな感じで、
パパとも結婚前に近くで一緒に住んでいたり、
よく知っている地域でした。
そして実家が引越しをしたので、
今はまた少し離れた場所に住んでいますが、
パパは地方出身で、義両親は離れているので、
この闘病生活が始まってからの手助けは私のお母さんが動けるぐらいでした。
そこで、
義両親もこちらまで出てきてもらい、
まずはみーちゃんのお顔を見に病院へ。
そしてその後、
義両親、うちのお母さん(お父さんは仕事を休めず)、私とパパと下の子と、
みんな揃って食事会をしました。
その夜はまたみーちゃんを1人病室へ残し、みんなで帰って行きましたが、
とっても大事なお話をしようと集まりました。
これからの事をみんなで話せば、
色んな案が出て、何とかなる。
というより、何とかしないといけない!
でも私とパパの2人だけでは限界で、、、下の子もいるので、
どうしても助けが必要でした。
私は義両親とは仲がいいわけでもなく、かといって悪くもなかったけど、
正直、意見はいつも合いません。
考え方が根本的に違います。
この日、私は考えもしなかった事を提案されました。
それははっきり言って、義両親ができもしないような事を平気で言ってくるように私は感じてしまい、
断りました。
下の息子をこっちで預かってやる。
(何度も言いますが、義実家は遠く離れた田舎です。)
いつもの慣れた保育園にいるお友達や先生とも離れ、
こっちの保育園なら子供もそんないないからすぐ入れる。
こんな小さい時の想いなんて大人になったらすぐ忘れる。
大人の都合なので子供は仕方ない。
自分も子供の頃、どこかに預けられたがそんな記憶今となってはどーでもいい。
というのが義父の提案。
お酒も入っていた席とはいえ、
私も気持ちをぶつけ過ぎたかもしれません。
(私たちは義実家もうちの実家も晩酌が日常なので、大事な話にお酒だなんて・・・とは違い、食事にお酒は普通です。)
当たり前ですが断りました。
そしたら、
親はお前らやからお前らだけで何とかしろ。
と言われました。
これと言ってこの日の家族会議は何かが決まったわけでもなく、
ただ、私と義両親との目に見えて気まずくなる始まりでした。
大切な家族の誰かが病気になると、
より一層、団結できるか、
破綻していくか、、、
のどちらかになるなぁと思った第一段階でした。
私は悔しくてたまらない気持ちを自分のお母さんには話しました。
そしてその次の日も下の子を朝から預け、病院に向かう予定でしたが、
お話会の間に寝てしまった下の子をお母さんが担いで実家へ連れて帰ってくれました。
翌日、義両親は帰って行き、
また私達はみーちゃんのもとへ向かいました。