エブリデイ ハッピーイエスキラキラむらさき音符

五島列島の旅記事です。

福江港から小型船で久賀島へ渡りました船

港のすぐ側に旧五輪教会堂が見えます。



旧五輪教会堂

旧教会は、瓦葺木造ながらリブ・ヴォールト天井があり、初期の木造教会建築の代表例として、1999年に国の重要文化財に指定された。そして、今年6月30日、世界文化遺産に登録されました✨

教会のなかの写真はNGですが、旧五輪教会堂は現在使われていないそうで、しく中の写真撮っても大丈夫です。

木造建築で床のきしむ感じが歴史を感じさせますね。

女性は右側に、男性は左側に座って祈りを捧げるのがルールのようです。わたしはクリスチャンではありません。



天窓から光が差してきます流れ星

大浦天主堂のデザインをモチーフに建てられたそうです。



上の写真が新しい教会です⛪

久賀島はかつて悲劇がありました。

1865年、大浦天主堂で、外国人宣教師と長崎・浦上村の潜伏キリシタンが出会った「信徒発見」が起きたのをきっかけに、久賀島のキリシタンも宣教師の指導下に入った。彼らは神道や仏教をやめてキリスト教だけを信仰すると庄屋に申し出た。1868年、五島藩は久賀島のキリシタンを捕らえ「五島崩れ」と呼ばれる迫害が始まった。

久賀島の弾圧は苛烈を極めた。キリシタンを極寒の海に漬けたり、炭火を手のひらに置いたりして拷問した。それでも信仰を捨てないので、わずか12畳の小屋を板で二間に仕切って牢屋とし、男女に分け、幼児や老人を含む約200人を閉じ込めた。

入牢者はすし詰めの中で横になることもできず、食事は朝夕にサツマイモを一切れずつ。厳しい拷問も加えられ、衰弱した子どもを中心に次々に死んでいった。8カ月後、ようやく大多数の人が解放されたが、計42人が命を落とした。これを「牢屋の窄(さこ)事件」と呼ぶ。

アーメンお願い


久賀島の人口は300人位だそうですが、旧五輪教会の近くに住む住人はわずか2世帯4人しかいないようで、沖網漁をして生活しているそうな。

海風や波の音がクリアに聞こえてくる照れ


船着き場から撮った教会の写真📷

続く

素敵な一日をピンク薔薇