雑記とビートルズ
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岩本亮平

あのブログ保存して 全部見たけどね。
これからどうなんだろうね~。
専門家はなんて言うのだろうか。

ファインライン

ポールの新作。 

結構イイぞ。

ツアーでは4曲位入れてるみたいだけど。



後半の曲の方が好きだな

イーグルス

「Hotel California」を初めて聞いたのは、高校生のときでした。
すごいショックを受けました。

完璧なまでに哀愁に満ちた切ない旋律、
複雑に絡み合うアコギの硬質なアレンジ、温もりのあるボーカル、全てが完璧。



そしてイーグルスの存在そのものにはまりました。

やはり、頽廃はアーティストの象徴ですよね。
イーグルスにはそんなムードが堪らなく漂っています。

払拭しようのない、
無尽の欲望にもがき苦しむ泥臭さがまとわり付いています。
このジャケットにしても、黄昏、郷愁、そんな言葉では表現しきれない。

神秘、不気味、得体の知れない、孤独の果て、そんなイメージを想起させます。

売れれば売れるほど、欲望という名の蟻地獄にはまってゆく憤り。
皮肉にも、そんな哀しい姿が美しい。
物欲社会の何たるかを、音楽であからさまに体現した、
純粋でか弱き音楽集団、それがイーグルス。
かなしいかな美しいがゆえに傷付きやすいアーティスト。

それがイーグルス。 、欲望の切りの無さ、
その果てに待ち受けている孤独と恐怖、
そして、人生の哀しみ、男と女の切なさを教えられたような気がします。



赤盤


僕がビートルズを好きになったのは15歳の時でした。
当時はまだビートルズのアルバムはCD化されていませんでした。
だから、レンタル屋を利用したりFM放送をエアーチェックしたりと いろいろは手段で曲を聴きました。
お金が貯まればレコード屋に行き、レコードを買いました。
初めて買ったのは「ビートルズ1962~66」というベスト盤。
通称「赤盤」とよばれるアルバムです。


赤盤2曲目の「プリーズプリーズミー」を聴いたとき衝撃が走りました。
「おおお!これポンキッキで使われてたじゃん~!」と。


そしてしばらくはその「プリーズプリーズミー」を聴き 4曲目に行っても「シーラヴズユー」が気に入りまた繰り返し聴く
と、いつまでたっても先にすすまない・・という繰り返しでした。


朝も学校に行くのにテープに落としてウォークマンにセットし自転車で聴きながら。
ちょうどアイフィールファインのイントロで学校に着きました。
帰りも聴き、バイトに行くときも聴きながら。という毎日を送っていたので、今でも このアルバムの曲を聴くと当時のことがよみがえります。


僕にとっての青春の1枚と言えるでしょう。


このときから今でもビートルズに対する情熱は
変わりません。

ビートルズとの出会い

中3の時に生意気にも 映画音楽というものにえらいはまっていた時期があった。
まあ持っていたのはアルバム単位と言うより
名作のサントラをたくさん寄せ集めたものだった。
その中に「卒業」のサントラの
サウンドオブサイレンスが収録されていた。
付属のブックレットでは親切にも 映画の解説があった。
「結婚式に乱入して花嫁をかっさらう」という 内容に興味を引かれ
さっそくレンタルして見た。 しかし僕が持っていた映画音楽集は
原盤が使われたいなくて
全部吹き替えものだった(チープなインストに) 為、サウンドオブサイレンスは唄が入っていない バージョンで納められていた。
映画本編では
ダスティンホフマンが花嫁かっさらって バスに乗ったあたりでこの曲がかかったと記憶している。 「 ええ~唄が入ってるの~」と僕は えらい衝撃を受けた。
ティントンティントンと寂しいアルペジオのあと 「ハロー暗闇よ」と英語で歌われたひにゃあね~~(笑)
速攻レコード屋にサイモン&ガーファンクルのサウンドオブサイレンスを買いに行きました。
で、なんでもよかったんで
その曲が入ってるアルバムを買った。 所がそれは良くありがちな
ベスト盤だった・・・ 当然良い曲のオンパレード!
明日に架ける橋
ミセスロビンソン
家に帰ろう
旧友
ボクサー
アイアムアロック
スカボローフェア
コンドルは飛んでゆく
etc


知ってる曲もあったし
一発で気に入った。 で、高校一年になったころ
席が近くだったT君に 僕は強く薦めた。 そしたらそのT君が個人的にはまっていた ビートルズを薦めてきた。
「おまえそういう古いの聞くならビートルズなんか気に入るんじゃないの?」と。 T君は従兄に薦められていて一足早く
ビートルズを聞いていた。

僕はそんなに言うならと その日の帰りに買って帰った。
それが赤盤だった。 それ以来今でもビートルズは好きである。