僕が歩んできた道は、振り返ってみると茨の道でした。
他人には決して言えないそれは、たとえ親や兄弟、親友であっても言えないのです
僕の名前は佐々木涼平。両親は父親が高校教師、母親は普通の主婦、兄は居るが、自分の中ではいない存在にしている
僕の家は裕福ではなかったが、そこまで貧乏ではなく、ごく普通の家庭であった。他人から見れば普通だった
けれど僕の中では違ったのです
小学生になりそれなりに勉強をしていくと、僕は自分が馬鹿なんだと気付いた。
周りの皆が簡単だといっている問題が、自分にとってはとても難しく感じ始め、自己嫌悪に陥った
そのため試験の出来もあまりよくなかった。特に算数がまったく駄目で、簡単な計算ひとつも理解できずにいた
当然両親は激怒した。父は高校で数学を教えていたこともあってか、僕が算数が全然できないとわかった途端、お前は馬鹿だ、なぜこんな簡単な問題が分からないんだ、なぜそんなに馬鹿なんだ、と、罵倒の日々が続いた。
怒られたくないと思い、僕は必死に勉強したが、それでもあまり試験の結果はよくならなかった
そのたびに僕は父の罵声を浴び、時には父の暴力に耐える日も少なくなかった
母もまた父と同じような人でした。僕が国語で人物の心情を理解できなく、問題が解けないというと、なぜそんなことも分からないんだ、お前は頭がおかしい、などと言いながら、採点や訂正の時に使う赤鉛筆をよく僕の頭に刺していた
刺されるたび、僕は泣きそうな顔になるが、母はいつも、泣くんじゃない気持ち悪い、と、言っていた
そうして僕はいつしか心に壁を作っていったのです。
最初は自分でも気付かない、無意識に壁を作っていったけれど、僕は次第に自分から心を閉ざし、そして誰にも心を開くものかと壁を作っていったのです
心に壁を作った後、まず最初に僕は両親と距離を置きました
すこしでも怒られないように、暴力を振るわれないように勉強を頑張りました
父から、こういう風に計算しろ、母から、こういう風に心情を読み取れ、そう言われつづけて僕は自分を作っていきました
正確には、両親によって作られていきました
そうして僕は両親をはじめ、すこしづつ人が苦手なモノになっていきました
心を閉ざし、人と距離を置くことを覚えた僕が次にしたことは演じることでした
いくら人が苦手だからといって、誰とも口を利かず一人で生きていくのは無理だと悟ったからです
9歳のある日、僕はある人と運命的な出会いをします
隣町から、僕の家の近所に、Dくんという名の子が引っ越してきたのです
Dくんの家は、ものすごく貧乏でしたが、それでもDくんは明るく面白い、裏表のない素晴らしい人でした
Dくんとは同じ学校で、一つ年上であるにも関わらず、僕の学年でも知らない人はいないくらい人気でした
僕はそんなDくんが凄く羨ましく、また同時にひどく嫉妬していた。けれど家が近所であることもあり、日に日に一緒に遊ぶことが多くなり、僕はDくんと遊んでいるときだけは何も考えずに無邪気に遊んでいた
そんな日々を過ごしていくうちに僕はDくんから人を笑わせること、明るく振舞うこと、どうやったら他人に好かれるかなど、他人の前で演じることを自然と学んでいきました
そうして、小学校を卒業する頃には、僕は人ではなく、なにか作られた完璧な人形のような存在になっていったのです
両親の暴力をさけるため勉強を頑張り、人に好かれるため仮面をかぶって演じる。
成績が上がっても両親は特に何も言ってこなかったけれど、クラスの皆には評判はよく、僕は益々演じることになっていった
この頃には僕は人間が嫌いになり、人間を人として見ることが出来ず、僕の動作一つ一つに反応するモノとして見るようになっていきました
それと同時に、僕は自分自身のことをひどく嫌いになっていったのです
