仏教のエッセーが終わったのです。
ハッピーなのです。
懐かしの「ダーク・エンジェル」を見ていたりするのです。
そう、でも、タイトルは「世界は動詞」なんて意味不明にしか見えないようなものなのです。
・・・さっきまでダークエンジェル楽しいよー、みたいな事を書こうかと思ってもいたんだが、、、
それじゃあ、面白みがないでしょうから。(あ、アタシにとってのね。)
「世界は動詞」ってのは、
こないだ読んだ仏教に関しての本に書いてあったこと。
世界は「動詞」だけ。
そこに「名詞」はない。
・・・すべては、流動的な原因と結果。
すべてが関連し合い、始まりも終わりも見えない「原因と結果」の連鎖がただあるだけ。だと。
たとえば、「人間」というのも、
その「動き」の一部分であり、
「私」というような「名詞」はありえない、と。
それから、仏教でいう輪廻転生とは、ヒンドゥ教の輪廻転生とは違い、
ヒンドゥで言うような「アートマン」=「私」が何度も生まれ変わるわけじゃぁない。
・・・で、
この後は、私の勝手な解釈。
つまり、仏教の言う「輪廻転生」とは、
「動詞」しかない世界に「名詞」を創りだそうとする「矛盾」が生じた結果である。
つまり、今生の「死」の後にあるのは、
(まぁ、今と変わらないんだろうけど、)
この現実との「矛盾」。が「残る」(もしくは「ある」)だけ。
それ以下でも、それ以上でもない。
そして、この「矛盾」を「私」だと呼びたい人はいないだろう。
また、この二つは違うものだから。
そして、この「矛盾」を無くし、世界の「動き」そのものになりきることを「悟る」と言うのだそうです。
・・・ってのが、僕の(今のところ)理解した仏教、
もしくは、仏教曰く、
「真実」に仏教もキリスト教もへったくれもない、らしいので、
これが、世界の「真実」だと。いうことです。
ですが、残念なことに、
僕は「悟れ」ていない。
ってゆうか、これが「真実」かどうかを「疑ってる」以上、
僕は「悟っていない」。のです。
仏教は「慈悲(?)」と「知恵」に価値を置いています。
その両方を平等に高めなければ、「悟り」を開くことはできません。
で、まぁ、何がどう影響して、だか、知りませんが、
僕は未だ「悟り」を開かず、
「動詞」の中に「名詞」を形成しようと試みてばかりいるというのが現状です。
・・・ダークエンジェルの第8話が終わったところよ。
いやー、懐かしい。
そして、思うのは、あたし、こういう「荒廃した世界」が好きなのね。
どうにもこういう設定の作品って見てしまう。
・・・じゃっ。
第9話を見終わったら、スーパーへ買出しに行こうかと思います。
楽しい週末を!
じゃっ。