ネオ・トロピカリア|ブラジルの想像力@東京都現代美術館
情熱と感性の国&アート 10月22日
ブラジルらしい表現とはこのことと言わんばかりに輝きを放つ作品たち。
ブラジルは感情あふれる国だった。
ネオトロピカリア展に於ける作品様式は多様を極め、同時代性の中、シュルレアリスムをはじめ、抽象画から視覚効果を狙った立体作品、映像のあたらしいものまでが一斉に出現する。
それを統べるものは一言でいえば「ブラジル」という国そのものである。
この展覧会は海外旅行に等しいほどのリアルと雰囲気を持っている。
程よく過去と新奇なるものが同居し、国を表現し形作っていく。
それほどまでに不純物の少ない国なのだろう。
色彩、音といった、表現に馴染みやすい特色が強い国だからともいえるが、私は、生活そのものが外部に触れた瞬間に芸術となる特異な国だとロマンをこめて言いたい。
あなたも太陽と笑顔、音楽と色彩にあふれた国でのひと時を過ごしてみてはいかがか。
展覧会情報
ネオ・トロピカリア|ブラジルの創造力
2008年10月22日(水)~2009年1月12日(月・祝)
東京都現代美術館 企画展示室1F、3F、アトリウム
理屈を取り払って向き合えばすぐにでもブラジルに飛べる展覧会となっている。ある出会い
戦時14歳の少女に出会った。現在72歳になる彼女は毎日を生きるすべを知っていた。
彼女はこれまで税理、経理、法律を武器に社会、夫、子供たちと渡り合ってきた。
彼女の語り口は経験そのものを伝える。
あいまいな事実の回避を実践する狡猾さを感じさせた。
語られた経験はおそらく嘘ではないだろう。
目の感じから、そう思う。
不思議な出会いだ。
たまたま入ったコーヒーショップで初老の老人に「今日は休みか?」と声をかけられた。
どうも食いぶちを探しているらしい彼と話をしていると彼に親しげに声をかけてきたのが彼女だ。
どうも具合が悪いのかきっかけとなった老人は目を伏せ無口になった。
彼女がいなくならずに同席を決め込むと彼は調子が悪いと足早に立ち去った。
残されたのは彼女と私。
お互いにお互いと関係を築こうと近づいたわけではない二人が自然と会話を交わす。
なかなかにない場面である。
それだけに単純な構図が生まれた。
彼女が人生の先輩、私が後輩。
この年代の方との話は実に興味があったが色々と引き出しの多い彼女の話を聞いていても一向に捉えどころがない。
そこそこ勉強はしてきたつもりだったが実践ではこれほどまでに話が出てこないものかと、自分の足りなさを痛感した。
というより語り口自体がいままでに接したことのない展開を見せ、彼女の思惑含め、おそらく話の半分も理解できていなかったのだと思う。
まことに残念なことである。
もしかしたら私の思いすごしで彼女には何の思惑もなかったのかもしれないが。
勝海舟がお好きなようで5歳になる息子に色々と手ほどきをしたらしい。
その結果とも言わんばかりに彼が海洋大学に進んだことを話していた。
彼女は
「息子には私たちのようには苦労せずに海洋研究の道で幸せな家庭を築いてほしい」
と言っていた。
社会で会社を興し、または組織に属して働くことが不幸であると言いたげであるのが少し気になった。
今、現在に生きる人々は何のために生きるのか。
過去を生きた彼女の考えと対比できない現代に生きる自分に、危機感を覚えずにはいられない。
自分はどの時代にも属さない漂流者のような気がした。