今日は終戦記念日なのですね…


と言いつつも私自身はいつも通りのお仕事をこなしていました


おかしな言い方になりますが私にとって幼い頃祖父が生きていた頃は戦争はとても身近なものでした

なぜなら祖父自身の口から幾度も幾度も、時には祖母の口からも戦争の実体験を聞いてきたからです

それはもう本当に日常的に繰り返されていました

特に原爆が投下された日、終戦記念日になると祖父は涙を流していました


その頃は祖父母の話す内容の半分も理解できず、祖父の流す涙の意味すら分かりませんでした

それでも幼心に強く焼き付いたのは『戦争はコワイ、イヤだ!』といったとても単純なものでした

でも、その単純な気持ちは当時の子ども達も、今遠い地で繰り広げられているウクライナの子ども達も当然思う気持ちのハズです


戦争からは悲しみと憎しみしか生まれないと思っています

それ以外に生まれるものは何一つないハズです


あんなにも誰もが願う『平和』がなぜこんなにも遠いものなのでしょうか…


今祖父母が生きていたらこの時代を見てなんて言うのだろう…

そして改めて祖父の口から直接祖父の実体験をしっかりと聞きたいです

お盆だからか今朝の夢に亡くなった父方の祖母が出てきた…


亡くなってから10年以上経つし、夢に出てきたのも久し振りだったけど何の疑問も感慨もなく『あっおばあちゃん!』って話しかけたらニコって笑って『毎日暑くて大変だ〜』と言って、今はもうない父方の実家の網戸のそばで団扇で仰いてくれて凄い嬉しかったです

途中で夢だって気付いたけど気付かなかったフリをしてこのまま目が覚めなければ良いのに…と思うぐらい幸せでゆっくりな時間が流れてました…


思えば母方の祖母とは違って父方の祖父母には本当に可愛がってもらって小さな頃唯一子供らしく甘えられた存在だったんだと今なら思います

小さな頃の私は物心ついた時から両親をはじめ、周りの大人の顔色を伺っているような子どもでした

今なら可愛げのない子どもだったな〜と思うけど、その当時はそれが自分が生きていく精一杯の手段でしかなかったんです

そんな中で祖父母は毎晩交代で一緒に寝てくれて寝るときにはいろんなおお話や唄を歌ってくれました

おねしょをしないように毎晩夜中に優しく声をかけてくれて一緒にトイレまでついてきてくれました


本当に今思うと両親以上の愛情をかけてもらったと思います

でも、何一つ孝行らしいことはできないまま見送ってしまいました


そして今でも不安定な私を心配したおばあちゃんが思わず来てくれたのかな…

そう思うと申し訳ない反面嬉しく思ってしまいます


大好きだよ、おじいちゃん・おばあちゃん♡

焦りがないか…と聞かれれば正直答えに詰まる…といった具合に少なからずの焦りはあります


でも、私の今までを振り返ってみても焦って何かしらの行動に出るとそれが却って足を引っ張り余計苦しい現状が待っていたので、今はとりあえず緩くこの現状に抗いながら落ち着く所は落ち着いてできる所から変化をつけていくのが一番かな?と思っています


さあ!明日からのお仕事も頑張らないと!