(恣意)憲法9条は聖域 ― 先人の恒久理想、侵すべからず
「平和の灯」を比喩で終わらせない――理想は“現物”として、今も燃えている。
水は、いったん濁り過ぎると、掬って濾しても、濁った水に戻せばまた濁る。
それでも、濾す行為をやめた瞬間に、濁りは“当然”になる。
小生は、憲法9条をそういうものだと思っている。
守り切るべき「恒久の理想」であり、踏みにじってよい現実調整の道具ではない
■ 何が:憲法9条は「先人の絶対理想」であり、聖域である
「聖域」とは、神秘化でも、思考停止でもない。
到達が難しいからこそ、目印として“絶対に倒してはならない柱”だという意味である。

そして「平和の灯」は比喩ではない。広島に実在する、あの平和の灯である。
理想は、言葉ではなく、現物として、今もそこに置かれている。
■ どうして:理想が“公共の善意”を支えていたからだ
たとえば、道沿いの果実を「誰かの家のもの」と決めつけて、丁寧に写真付きで“晒す”投稿がある。
だが昔、街道沿いに果実を植えたのは、地元の百姓が遠方へ行くときの非常食であり、旅人の食料でもあった。
古の善意は、道に残されていたのである。
供え物も本来は同じだ。仏前に供えた時点で「誰かの所有」ではなくなり、神仏のもの=共同のものになる、という感覚があった。
だから子供の頃、墓参りで供えた菓子を“食べてもよい”と言われた文化が残っていた。

憲法9条もまた、そうした公共の善意の延長線上に置かれた理想である。
■ どうだから:憲法9条は“現実に合わせて削る”対象ではない
小生は、年を取ったら皆が“スタートラインからやり直せる”社会装置があればよいと思っている。
地位も資力もない人々が集まり、互いに助け合ってやり直せる施設――それが誠の後世だ。

それと同じで、国家にも「やり直しの柱」が必要だ。
憲法9条は、その柱になり得る
だから、戦争を知らない世代が、軽い気持ちで汚してよいわけがない。
■ しかし現在(PKO参加・集団的自衛権の行使容認以降):対外的な“理想の見え方”が薄れた
背景には、PKOと、集団的自衛権の行使を推進してきた経緯がある。
どちらも自衛隊ありきの法と運用であり、そこから「ならば憲法9条に自衛隊明記が必須」という理屈が組み上がっていく。
だがそれは、本来“やむを得ず”の対外スタンスを忘れた瞬間に、すり替えになる
「乖離した政策を積み上げたから、聖域を改めるしかない」ではない。
乖離した政策を積み上げたからこそ、聖域を柱として踏みとどまらねばならない
■ 事実(湾岸戦争当時の空気):外国人の認識は確かに存在した
小生は、湾岸戦争時のニュースで、外国人に「日本のPKO参加」を問う街頭インタビューを見た。
ヨーロッパの“日本を学んでいる学生”は、憲法9条があるから参加しなくてもいいと答えた。
一方、米国の学生は、参加すべきがほとんどだった。
そのとき小生は、ヨーロッパの学生の口から新渡戸稲造武士道を知った。
小生は思った。
ヨーロッパは、米国よりも日本の精神に心を通わせているのではないか、と。
■ 前兆:中曽根政権期、“要撃”の線引きが動いた瞬間
憲法9条が崩れる可能性の前兆は、ここにあったと小生は見ている。
領空侵犯機を要撃。以前にロシアのミグ機が北海道に着陸した件もあり、緊迫していたのは事実だ。

当時、小生は自衛隊でOJTの試験後だった。
試験問題で「仮想敵機に捕捉されたので威嚇射撃した」――これの正解は×だった(過去問でも×)。
ところが、幹部の兄に問うと○だった。

“敵が攻撃するまでは”から、“ロックオンされたら要撃”へ
技術の進歩で現実が変わったのは分かる。だが、威嚇すら禁止が、要撃まで可能になった
小生には、これが憲法9条のひび割れに見えた。
■ 補足:OJT試験が示した“現場の空気”への疑念
余談だが、当時小生が受けたOJT試験の合格点は95点以上。
数日前、同期が「当日出る問題」を持ってきた。同期は小生を含め3人。
小生は過去問をほぼ完璧に理解していたが、他2人は答えが分かっていないようだった。

当日「100点は取るなよ」と言われ、小生は95点ちょうどに合わせた。
その結果、総務に「小生が一番点数が悪かった」と言われた。

答えを教わって95点を狙った者が高得点になる空気
この頃から小生は、自衛隊員としての継続にも、世の中の評価にも、疑念を抱き続けることになる。
■ どうしろ:乖離を理由に聖域を壊すな。“聖域を基準に戻せ”
小生はPKOによる自衛隊出動にも反対だった。
そして今、政治家等が「PKOと集団的自衛権の延長として、憲法9条に自衛隊明記が必須」というすり替えをしようとしている、と見ている。
憲法9条から乖離した政策が積み重なったのなら、やるべきはこうだ。
乖離を“正当化して固定化する”改憲ではなく、乖離を“戻す”政治である。

先人の理想を踏みにじる行為は、してはならない。
■ 結論:憲法9条は侵すべからず!
憲法9条は、先人が抱えた絶対理想であり、聖域である。
「平和の灯」と同じく、理想に達するまで守り抜くことが後人の役目だ。

乖離があるなら、理想を壊して現実に合わせるのではない。
理想を残したまま、現実を理想に近づける――それこそが後世の責務である。