連休中とあって、今朝もご近所界隈はのどかな雰囲気でした。

寒の戻りと言われ覚悟していた寒さも…さほどではなく。

いよいよ春めいて来ましたね。


それなのに

少し視線をうつせば世界には

感染症、地震、戦争…

気の滅入ることばかり。


自然が与える苦難でもやりきれないのに

人災には
どうしようもなく怒りが沸きます。

軍事侵攻なんて言葉
この21世紀にそぐわない
古めかしい響きがするなあ…
とか思ってたんですけど

「暗殺部隊派遣」だの

昔ならきっと
水面下でひた隠しにされたであろう物騒な話題が

さわやかな朝のニュース番組で
堂々と報道されちゃうあたり、新世紀の戦法なんでしょうか???

(こんなオープンでいいんかい!と、思わず突っ込んだわ)

今は情報戦が半端ないだろうから
隠すよりむしろ
情報を牽制や撹乱、ハッタリなんかに使った方がいいのかな???

私が子供のころ
映画やマンガ等で慣れ親しんだような
スパイ活動は

現代じゃきっと
やり方が様変わりしたでしょうねえ…

昔のスパイ系ストーリーではよく
マイクロフィルムを巡って
すったもんだしたものですが

今はもっと小さくて持ち運び楽で高性能な記録媒体が、一般家庭の机の上に転がってますからね

そんなのも相まって、秘密めいた匂い(イメージ)が薄くなったわ…


ともあれ前世紀から
時代や技術は目まぐるしく変化し

対話と多様性の時代となった今
世界のリーダーたちがどのように
新世紀最初の「注目される戦争」

(戦争は常にどこかで起こっているけれど、たいていはスルーされがち。この差は一体…って思うわね)

の着地点を探るのか

その手腕が問われています。

これから先の
世界の方向性(核問題含む)も決まってゆくだろう
最初の一手ですしね。

いずれにせよ
我々が見ている世界なんてしょせん氷山の一角。

時折起こる戦争が
ある種の人たちにとってゲームで

庶民を駒とするならば

巨大な氷山の下で本当は
誰がどういったシナリオを書いているんだろう。

(プーチンだとかの国家云々レベルでなく、歴史の流れに組み込む大局的なシナリオね)

出来ればあんまり
支配者層の描いたシナリオに
のっかりたくないなあ、とだけ
小市民としては思うんですけど

世間をひとつの方向に誘導し、否と言いづらい空気を作り出すことなんて

マスメディアになら割と簡単に出来るので

(一事が万事で、とあるジャンルにおいて何年もずっと

「情報は送り手側の意図ありきで編集され、報道される」

と感じることが多かったし…)

それが危うくて怖いなと感じる今日この頃。


だってね
人間とは感情の生き物。

私もそう。おまけにかなり単純。

そんな単純な私が
ウクライナ国民の悲劇を伝えるニュースを見たなら

「プーチン憎し…」

に傾くのは当然といえば当然。

実際すごく迷惑でもありますし。

燃料費高騰による影響は言わずもがな
先行き不安を抱えて鬱々してしまうので
心配性としては精神衛生上よろしくないことこの上ない。

人道的見地と
日常生活の不便の両方とで憤りを感じる毎日。


でも同時に

「特定の誰か」

を悪の権化として描く
シンプルなシナリオには
どうにも違和感があるのですよね。

時代のせいかもしれないけれど。


とはいえ
完全なる善と悪、

ましてや絶対的な正義など
実は存在しない、という考え方は

凄惨な戦場においては意味を持たないし

我々のごとき
安全な場所にいる民間人にとってさえ
絵空事にも聞こえます。

ただやはり
私みたいな者が多く触れるのは西側寄りの…

いわば西側諸国が国際世論を誘導すべき目的で
メディアが取捨選択した情報なので

見方がどうしたって偏ってしまう。ってのは、忘れないでおきたい。

今や動画…映像さえ人を欺く時代に

マスメディア、ネット、知人の知人から聞いた噂等々……

全てを疑うことは
全てを信じること同様に不可能な上

マスメディアが大衆の味方などではないと気づいた現代において

何を信じるべきか判断するのは本当に難しい。

(マスメディアを敵視するつもりはありませんが。ネットだって危うさなら似たようなもの)


加えてこのまま社会不安が悪化してゆけば
苛立ちや不満が募り
日々の生活に疲れ
「考える」ことすら億劫になってゆくでしょう。

混乱と混沌の時代において
そうした精神状態に陥ると
シンプルで分かりやすいものに飛びつきやすくなるのでは?と思います。

たとえば…誰の目にも明らかな「悪の対象」を作り上げること。

「悪者」を皆で叩けば、鬱憤晴らしにもなる。

では、そうした流れがエスカレートしてゆけば……?



私たちは今まさに

後年の歴史の教科書に記載されるような
コロナから続く出来事の渦中に生きている訳ですが

この先さらに何が起こるのか起きてしまうのか

それは今、分からないけれど

全てが終わったずっと後に
これらを
「歴史の中の単なる出来事」として読むだろう
後世の冷静な立場の人たちは
どう感じることになるんでしょうね?

考えると不思議な気持ちになります。

非日常だったコロナさえ日常化した今

ウクライナのニュースを聞いて
胸を痛めた後

今日の夕食の献立を考える自分にもまた、不思議な気持ちになる。

現実離れした現実と
非日常の中での日常。

どんな怒涛の時代にも場所にも、こうした日常はあったのだなと

未だ漠然とながら実感する日々ですが

日常の中で
不吉な予感が羽根を広げて近づいてくるような時代の重苦しさは

教科書のように端的な記述だけでは到底理解できない。

時代の熱や空気や手触り
そうしたものは
時代のスピード感と共に
リアルタイムで生きて見続けなければ…
分からないものですね。



とりとめなくダラダラ書きましたけど要は

プーチンは私も嫌だけど、
そういうのと別に
反対意見が言えない雰囲気になってほしくないな~…

ってところかしら……

物事なんて
見る方向や立ち位置が変われば
すぐに違うものとなる、ってのもね。



なんだかテンション下がりっぱなしなのでお花の画像でも。


春なのにひまわり。





ひまわりってウクライナの国花なんですってねー

これまで知りませんでした!

映画「ひまわり」の撮影地でもあったとは…





今またウクライナ関連でよく観られているらしいですね。
私はずいぶん前にビデオ(時代を感じる)で観たっけなあ…


コロナも戦争も早く終わってほしいです。