7月に受けた阿蘇湧真さん&KYOKOさんのセミナーで、KYOKOさんが、自分の家にあるものは全てマブダチだと言っていた。


その言葉を聞いたときに、そうだったのかー!と思った。


1年くらい前に断捨離に励んでいたとき、家にあるものは8割不要、物が多いと邪気まみれ。というのを話している人(大王)の言葉を信じて、ものを捨てれば開運に繋がると思って結構頑張って捨てた。


まだまだものがいっぱいだけど。


途中で、ぎっくり腰になったとかじゃないのに、今までにないほど腰が痛くなって、起き上がるのも立ち上がるのも苦悶するほどになって、断捨離活動は強制的にストップした。


大王が、ものを捨て始めると邪気が邪魔してくると言っていた。

当時それが来たんだ!と思っていた。



でも、今、私はKYOKOさんの言葉や、湧真さんの「物の扱い方は自分の扱い方と同じ」という言葉を得て、あの時期の断捨離を反省した。


「物が多いのは悪だー!捨てるものどこだどこだ~サーチプンプン」と探していた。

色々な考え方や理論があると思うけれど、私には合ってなかったと思う。


私はずっと自分の悪い部分をみつめてそれをどうにかしたいと思っていた。

湧真さんがいう自分と物の扱い方が同じということ。

家の中にある物を邪魔者として断捨離していたら、自分を邪魔者として扱っているから、そりゃ体調も悪くなるよね。


人によると思うけれど、ミニマリズムの超究極って一歩間違えると肉体の自分自身を手放したいに繋がらないかな?

私は一瞬そう考えたりしたガーン

すべてがキレイじゃないといけないとか、そういう拘りが増えて、とってもこの世界で生きづらくなる。

でも今でもスッキリした部屋には憧れるから、片付けはしようと思う。




自分が自分の家に招き入れたものって、マブダチだからというKYOKOさんの言葉に感動した。


自分に合わないものもあって、買ったときのお金を考えると勿体ない・・・と思ったりしちゃうけど、合わなかったものや古くなったものは最近手放したりもした。

でも、どれも夫が働いて稼いでくれたお金だったり、過去に自分が稼いでくれたお金だったり、もしくは他の人だったり。

そういった人生の時間を使って得たお金と引き換えて買ったものたち。


無料であっても、だれかや何かのエネルギーが注がれているものたち。


だから手放すときは大切にお別れしようと思う。



今日、悲しみが浮上した。

この事に関する悲しみにはなかなか向き合えなくて、自分が罪悪感を感じそうで、目を背けてきたこと。


でも自分と向きあって、自分の声を聴いて、癒して行ったら、罪悪感はそんなに出なかった。


きっと普段頭が勝手に罪悪感を生んでるんだな。

それで怖くて向き合えなかった。

でも向き合わざるを得ない状態が生まれた。


よく頑張った自分を大切にしよう。

相手の心配はあるけれど、全ては最善のことが起きているだけなのだ。


クリアリングして、ちょっと疲れた。

作業中の机に伏して、少し休んだ。

横に目に入ったものを見たときに、マブダチだって思った。

この子って結婚したときからずっといてくれてるじゃん!



問題の相手は姉なのだが、私は姉と信頼関係を築きたかった。

でもいつも裏切られて、振り回されて、すぐ怒るからめっちゃ気を遣って、相手のワガママを受け入れてきた。

もちろん私も助けて貰ったこともあるけど。


1年ちょっと前、そんな共依存関係みたいな姉と距離を置いた。ほとほと疲れて。

ずっとそうしたかったけれど凄く怖かった。

私が相手を傷付けてしまうと思ったし、私がいないとダメだと思っていたから。

私もたった一人の姉を失うのは怖かった。

何かあってももう誰も助けてくれないんだなって思ってしまっていたから。

でも姉はあんまり私のこと助けてくれなかったから、私は余計に姉に対して悲しみを抱いていた。


私が与えてきた愛情と同じくらい、姉から愛情を受け取りたかった。

何かあったらいつでも助けて欲しかった。

そんな安心感が欲しかった。

でも搾取されることがほうがほとんどだった。


こうして私は人間不信に陥ったのだと思う。


でも、離れてみて、私はそこから、違う世界へ進み、違う世界が見られた。


その頃、私が好きなNEWSの「ハレルヤ」や、藤井風の「grace」と言う曲たちが私のもとにやって来てくれた。

自分が主役なのだと。


そしてしばらくして、たまたま流れてきた中村咲太さんのYouTube動画を観ているとき(正しくは台所で動画を流しながら夕飯を作っているとき)、号泣に至った。

動画の内容と違ったのだが、料理しながらふと、私自身が姉との関係を作り上げていたのかも知れないと分かったのだった。


父を自殺で亡くして、もう誰も失いたくなくて、自分を犠牲にしてでも誰かを支えていたかった。

こんなに苦しみながら、姉に振りまわされて、姉のジェットコースターに乗せられて、蕁麻疹がでたり、沢山お金を使ったり、熱が出たり、超苦しかったし大嫌いって思ったりもしてたけど。

父を亡くした恐怖や後悔が、姉との関係を作っていたのかもしれない。と気が付いた。



それから中村咲太さんのお友達の湧真さんの動画もたくさん観るようになって沢山教えて貰った。

セミナーでもYouTubeでも。

湧真さんって、私が見たことある男の人の中で、一番透明で、実際に見に行ってみようと思っていったのが、今年の4月のセミナーだった。だからまだまだ新米だけど。

そこから、私は父の死に対する後悔や、自分を愛することの大切さや、手放しなど、それまでの私が死ぬまでどうにも出来なかったであろうことへの考え方や、知らないことを沢山学ばせて貰った。


湧真さんには関係ないところではあるけれど、ある事が起きて、信じられなくなって、ぶつけてみたりしたけれど、失礼なことをしてしまったけれどその事で湧真さんは本物だと思ったし、一方的かもしれないけれど、ずっと大切な事を教え続けてくれる、私の人生のターニングポイントになってくれた人だと思っている。


アセンションとか、目覚めとか、エネルギーを感じるとか、辿り着けるのか分からなくて、最近自分でもどうしたいのかよく分からないなって思っちゃったりしてた。

でも今日、姉のことで気を揉んで、そしたら、気が付いた。

私がここまで来れたことが何よりも凄いことなんだって分かったのだった。


あんなに振りまわされたり、自分が大嫌いで、誰かを失うのは怖いくせに自分は死んじゃいたくなったり。

心理カウンセリングに1年通ったけど、学べたこともあったけど挫折してやめちゃったり。

 

そんな私が、起きてることは全て最善なのだと、怖がらずに思えるようになった。


姉には私がいなくても生きていけてるんだって分かったし。

一番不安定だったのは私だったんだ。

私はこんなに犠牲になって姉を支えてきたのに、姉はちゃっかり。

「多分そいつ、今ごろパフェとか食ってるよ。」という本があるけど、その通りみたいな真顔ガーン


全ては手放しの対象だけど、

私の中にあった「姉に大切にされたかった。信頼関係を築きたかった。愛されたかった。」という気持ちが分かって、それを自分の気持ちとして認識出来た。

怒りはフェイク。他の感情の裏返し。

姉と近いと怒りが出まくる。

離れたからこそ気付いた自分の悲しみ。

手放したはずだけどまた涙が出る。


寂しかったし、不安だった。

そんな中、私の周りにある、机の上の私が集めたものたち。

壊れずにいてくれてるな。


何か客観的に考えれば寂しいやつ、かもしれないけどガーン


私はこの家の中にある物たちがマブダチだと思ったら、温かい気持ちになった。


とにかく周りでは何も起きてなくて、 ただ自分が創り出しているだけ。


そういうことを知れた私は、ここまで進んできて良かったのだと思っている。

これが前の私には見えなかった世界が見えているっていう、一つの上昇段階でもあるのかな?


いつも支えてくれる人たち、ものたち、本当にありがとう。

そして本当は言いたくないけど、悪役になってくれてる姉にも。(本心は「約束守って!」)


悲しみさえ自分が作り出していることなんだよねぇ~。