「オレが先に行く。おまえはオレの後に続いて入って来い。いいか?逃げるなよ。オレに付いてこい」

 

今の夏よりも過ごしやすい夏の日の午前。

 

時を遡ること29年。

 

当時12歳。近所でよく遊ぶ友達は男の子が多かった。気の合う女の子が近くに住んでいなかったから。ただそれだけの理由だ。

 

家から少し歩いた“ちびっこ広場”の隣には、倒産した会社の大きな工場があった。

 

廃工場だ。

 

廃工場になって何年も放置してあったのだろう。大きな工場だが、側面は波板になっていたと記憶している。

 

入口は施錠してあったが、側面の波板が損壊していて、子供なら一人潜り抜けられるほどの都合のいい穴が開いていた。

 

いつも一緒に遊んでいた近所の男の子、シュン君が私に言う。

 

「オレに続いて来い」と。

 

廃工場の中に二人で入るという冒険をして遊んだ。

 

中に入るまで、中はどんなふうになっているのだろう・・・

 

まるで廃工場の中に徳川埋蔵金でも埋まっているかのように、ドキドキと胸が高鳴る。

 

シュン君が先に中に入った。

 

入った所で後ろを向き、私がちゃんと穴から入れるように手を引いてくれた。

 

 

 

 

 

中は広く、特に目立った宝物は見受けられない。

 

大きな金属のゴミと、石で出来た正体不明の物体があるだけだった。

 

それと、巨大なマンホールがいくつも放置してあり、そこに上って高い場所から地面を見下ろすという、

 

小さな優越感に浸ったのだった。

 

 

しかし、中には当時流行っていたコロコロコミックや少年漫画が数冊落ちている。

 

「おい、ハル。オレ達よりも先にここに入ったやつがいるぞ。漫画が落ちてるし」

 

「ほんとだね。お菓子のゴミもあるよ、ほら。」

 

「あぁ~ほんとだな。でも今日からここはオレたちの秘密基地な!」

 

シュン君が大きな声でそう言った。

 

“秘密基地”という響きがドキドキを増長させ、やけに嬉しかった。

 

そうか、秘密の基地なんだ。

 

「うん!面白いことがあったらここでお菓子食べよう!」

 

 

 

 

それから私たちはその秘密基地の中でスナック菓子を食べたり、ゴムボールを持ち入って遊んだりした。

 

外界とは違う、私たちしか知らない世界でゆっくりと優しく季節が移ろいで行った。

 

ある秋の頃、

 

いつものように秘密基地に入ると、見慣れない漫画が落ちていた。

 

シュン君がそれを覗きこんで言った。

 

「エロ本だ・・・おまえ、見ない方がいいかも。」

 

そう言ってシュン君はそのエロ本のページを何枚もめくって見入っている。

 

「え、見たい」

 

そう言って私もシュン君の隣でそのエロ本を目にした。

 

あまりの衝撃に、胸がドキドキして爆発しそうだった。

 

リアルに描かれた女性の体は肉付きのいい描写だったがそれは紛れもなく、女性の体だった。

 

その瞬間、私も女なのだ、私も女の体なんだ・・・と思うと急に恥ずかしくなった。ここにいることがいたたまれなくなった。

 

シュン君は「ゲッ!すげー・・・」などと言いながらもしっかりと漫画を見ていた。

 

「先に帰るね」

 

と言うとシュン君は漫画を読むのをやめて言う。

 

「ああ、遊ぼう!まだこのお菓子食べてないし!」

 

「いらない。」

 

「なんで?どうしたん?これ?」

 

と言ってシュン君がエロ本を指さした。

 

私はコクリと頷いた。

 

するとシュン君はその落ちていた本を持って外に出て、川に投げ捨てて来たと言った。

 

私が嫌がるものはいつも排除してくれていた、優しい男の子だった。

 

その衝撃の元がなくなったので、私は少しだけ落ち着きを取り戻し、そこでお菓子を食べた。

 

二人でまた笑顔になり、

 

将来の夢などを語り合った。

 

「オレ野球選手になる。ハルは?」

 

「わたしは~・・・・なりたいものないんだよね」

 

「まじで?変なの。なんかあるだろ。女子ならケーキ屋さんとか。」

 

「ケーキ屋さんよりはお花屋さんがいいけど、それよりもお嫁さんになりたいんだよね~」

 

「じゃあ将来の夢お嫁さんでいいじゃん。あるじゃん!」

 

「そうか!それでいいのか!」

 

妙に嬉しかった。

 

将来の夢と聞くと、消防士とかお医者さんとか、ちゃんとした職業を言わなければいけないものだという私の固定概念を、

 

シュン君は打ち壊してくれたからだ。

 

お嫁さんも立派な夢なんだ・・・

 

と、小学6年のとき、思った。

 

今のようにスマートフォンなどという通信機器は一切ない時代。

 

キスをしたら子供が出来ると思っていた私にとって、その12歳の秋は衝撃の秋だった。

 

シュン君とは親友ともいえる仲だった。

 

別にお互いがお互いのことを好きとか嫌いとかそういう次元の付き合いではない。

 

冒険をするときにはいつもシュン君が隣にいて、

 

野花を摘んで歩く時もいつも隣にシュン君がいた。

 

川でメダカを取るときも、カブトムシを育てるときも、常に彼が隣にいた。

 

ごく自然のことだった。

 

中学生になろうかというタイミングで、私たちはその廃工場が取り壊されることを知った。

 

自分の中での、大きな大きな宝物が奪われるような何とも言えない悲しさが胸を支配した。

 

シュン君もまた、落ち込んでいるようだった。

 

「ここ無くなるんだって。」

 

「うん、お母さんから聞いた」

 

「すげー嫌だね」

 

「うん、嫌。ずっとここにあればいいのにね」

 

「うん。あ、そうだ!タイムカプセル埋める?宝物!」

 

「なにそれ?カプセル?」

 

タイムカプセルというものを知らなかった私に、5つも年上のお兄ちゃんがいるシュン君が教えてくれた。

 

何年後かに取り出して将来の自分がそれを見返す・・・

 

 

 

あまりにも壮大なロマンに私は泣いていた。

 

「ええええええ!なんで泣く?」

 

「すごいいいなと思って!シュン君すごいなと思って!絶対やる!何がいる?家から持って来る!」

 

「小さいお菓子の缶持って来て!」

 

「分かった」

 

ちょうどいいサイズのお菓子の缶がなかった。

 

二人分にしては随分と大きいなというサイズの缶に、手紙を入れることにした。

 

「自分に宛てた手紙を書くよ。シュン君もそうしたら?」

 

「うん。それとオレはこのシールも入れる。」

 

見ればビックリマンシールの束である。

 

・w・;

 

驚いたがシュン君が入れるというので、そうすることにした。

 

二人で秘密基地の外に出て、周囲の土をスコップでひたすらに堀った。

 

まるで何かに憑りつかれたように。

 

陽が暮れ始め、

 

辺りを夕陽が赤く照らした頃に、作業は完了した。

 

「これで終わり。俺らの宝物ここな。忘れないようにしようぜ!」

 

満足気なシュン君がやけにかっこよく見えた。

 

夕陽に照らされた泥んこの手と、きれいに通るツンと高い鼻筋を今でもよく覚えている。

 

夕陽に照らされたススキが土手沿いでキラキラと揺れていた。

 

今埋めたばかりのタイムカプセルに被せた部分の土だけが、あたりの土と違う色をして、その場所を主張した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほどなくして、廃工場は取り壊された。

 

あっという間に更地になってしまった。

 

そして、月日が流れた。

 

私たちが埋めたタイムカプセルの場所に、コンクリが打たれた。

 

 

 

 

 

あぁ・・・・・

 

 

 

 

 

 

 

とても切なく寂しい気持ちになった。タイムカプセルはどうなってしまったんだろうか・・・

 

 

 

 

だが私たちは時間という汽車に乗り、揺られながら確実に大人になっていった。

 

都合のいいタイムマシンなんてないのだ。

 

時間は戻らないが、あのとき、この場所で、確かにキラキラと輝いていた時間を私たちは知っている。

 

立派な大人になるんだと誓い合ったあのときの友は、

 

野球選手にはならずに結婚してパパになっていると風の便りで聞いたことがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はその秘密基地の跡地を

 

今日、二女を連れ散策した。

 

新築の家々が建ち並び、どこからともなくピアノの音色が聞こえてくる。

 

「ピアノが聞こえるね~」

 

と二女が言う。

 

「聞こえるね~」

 

「なんかサラこの場所好き!」

 

「そう、ママも好きよ。」

 

「うん!だってここママの思い出の場所だもん!」

 

と、サラがいつも通りの弾けそうな笑顔で私に言う。

 

 

 

 

え?

 

今なんて??

 

 

「ここママの思い出の場所なの?」

 

二女にそのように聞いてみた。

 

「ん?」

 

と二女は私の言葉など意に介さず落ちているどんぐりを拾う作業にご執心だ。

 

「サラ今、ここがママの思い出の場所だって言ったけどどうして?」

 

もう一度だけ聞いてみた。

 

 

 

 

 

 

 

「サラそんなこと言ってないよ!見て見て!双子のどんぐり~!!」

 

 

 

 

 

 

二女の無垢な笑顔に、

 

それ以上聞くことをやめた。

 

二女と一緒に屈んだ先に、季節外れの朝顔が咲いていた。