AMERICA - ひとり旅 - LA編③
街へ繰り出すのに 自分の身を守るための手段として 国内でもやったことのある方法は ”一歩間違うとホームレスみたいな服装作戦”である。ジーパンを自然にイカした色に色落ちさせる方法として 濃紺の501をほとんど洗濯せずに数か月はき続け 汚れた手もジーンズのあちこちで拭いたりして、自然のシワが そこだけ汚れたりして折り返されて色落ちするんだけど かなり汚れてきたら洗剤を使わずに ジーンズを裏返して洗う。で おいらの場合そういったジーンズ 501やら503 517 Leeやカーハートのペインターパンツなどいろいろもってて、Laでのこの対策として501の一番古い ひざあたりが網目に破れ 白っぽく色落ちしたのを選んだ へインズのよれよれの黄色いシミがついたTシャツ 靴もぼろぼろのを素足で んで生えそろってない無精ひげ。 この風体で街へ繰り出した。これは効く。みんなよけるどころか ゴミでも見るような目で見ていくし ひどいのになると あまりもの汚さに罵声を小声で浴びせ言う人もいるくらいで、道を尋ねようとおもって近づくと逃げていくひともいました。。カモにされる以前の状態なのでした。いやー。やっぱり服装がちがうだけで こんなにも対応が違うものかと笑ってしまいました(‐^▽^‐)
食事はアメリカに進出したばかりの吉野家へ。実は日本では吉野家食べたことなくてLAが吉野家デビューでした。メニューは ビーフボウル(牛丼) ベジタブルボウル(中華丼)というのがあって、普通に牛丼頼んでみました。日本を出るときアメリカでは現地の食事ですませて日本食は食べないと誓ってきましたが やはり米食いたかったんでがまんできませんでした。帰国後 国内の吉野家と食べ比べたら LA吉野家は味がアメリカン向けで たれが濃くてもっと甘い。玉ねぎはかなり煮込んであってとけていて、コメは、かるふぉるにあ米ってやつですか。ま いいんですよ、米がくえりゃγ(▽´ )ツ しばらくLaでは吉野家にお世話になりました。つづく。
さぁぁー 今日もあついどぉーΣ(゚д゚;) でも食欲だけは欠かさず元気にたべるぞー。
ってなわけで…今日も楽しくぴぐりまっす
ほな
AMERICA - ひとり旅 - LA編②
ホテルのフロントで頭にターバンを巻いたおじさんとの値段交渉を終え 早速部屋へ 6畳間にシングルベッドが一つ 壁は自分たちで塗ったとわかる白いペンキで塗りたくってあるベニヤ。上等です。寝るだけですから。で 飯屋とスーパーマーケット探しに市内へ フロントへ鍵を預けにいくと、今度は顔にスカーフをまいた綺麗なお姉さんがにこやかに預かってくれた。おいらが宿泊したエリアはダウンタウン地区で メキシカン 黒人 韓国人 ベトナム人 プエルトリカンなどの当時としては新興入植者が多い地域だった。んで街を歩いていると…来ました。ゴツイのが。
身長190 頭はセミアフロ サングラスに 腕は太ももくらいブットくて 色の黒さはA B Cでランク分けするとAクラスの黒人さんが 近づいてきた。やられると思った瞬間「坊や タバコと火あるかい!」「。。。。。汗」瞬時にジャッキーチェンの蛇拳の構えをして「non」とこたえたら「so sorry men..」と逃げていきました。ふいー。。心臓バクバクだぜ マジ。ビビるよほんと。いきなりだもん。この数年後にかの有名な韓国人と黒人の確執による「ロス暴動」がおきるわけですが…危なかったぁ。Σ(゚д゚;) LAの街は 今はどうかわからないけど 当時は砂漠と荒野に 無理やり人工的に都市を短時間で造ったというイメージで 街自体が不自然で映画のセットみたいだった。飯屋は アメリカに進出したばかりの吉野家 リトルトーキョーに定食屋があるということがわかった。スーパーマーケットは歩きでは探せなかった。何しろLAは広い。道路は普通に3車線だし。初日はこんなところで ホテルに帰る道を一人歩きながら おいらは考えた いかにして カモられないように街をあるくか… つづく。
さぁぁー今日もやってまいりましたぁー。一日楽しんでいきましょぉー('-^*)/
植えているひまわりの茎もだいぶブッとくなってきましたぁぁ。てなわけで 今日の手始めはベガスのカジノでスロットでぇい( ̄ー☆
ほな…
AMERICA - ひとり旅 - LA編①
「WELLCOME TO LOSANGELS」 空港に到着して エスカレーターで降りて、荷物をバゲージに取りに行くとき エスカレーターからみえる斜めの天井にデカデカとブルーの文字でかいてあった。 いまでも強烈に印象に残っている。アメリカ本土に降り立った瞬間。
自由の国 ハリウッドがある映画の都 夢にまで見たアメリカ大陸 ここでは旅行ガイドもいない。ホテルの手配 レンタカーの手配 バスの運行 食事の手配も すべて自分で決めていかなくてはならない。だれもたすけてくれない。 鑑定書で働いていた時 アメリカと南米大陸を単身渡り歩いて、最後はアルゼンチンで不法滞在で捕まってしまい任意送還された青年と知り合ったことがあった。彼は韓国人と日本人の区別の仕方を教えてくれた。同胞がメキシカンの集団にリンチされていれば助け 仕返ししに行くのが韓国人。意外にも冷淡に知らない国の人間のふりをして通り過ぎていくのは日本人だという。 「厄介ごとには首をつっこまない」 ま おとなしく cool なんですよ 要は。 当時の日本は 大手の保険会社が世界中の高級絵画を高値で落札したり 株価が¥40,000近くまで跳ね上がったり 近所のうだつの上がらないポンコツの軽自動車を乗っていらっしゃった おじさんが株や不動産取引の差益で大儲けして いきなり高級車を乗ったり 大学生で派手な格好した全身ピチピチでボディラインがばっちり見えるワンピースにロングヘヤー やけに眉毛と化粧が濃い綺麗なお姉さんが休日にゴルフバッグを車に積んでいたり 就職も人手不足で中近東から労働者がたくさん来ていたり 松本人志さんいわく「脂ぎったおやじがセルシオの助手席に”おやじギャル”をのせてダッシュボードに寿司並べて食いながら片手運転してる」 そうゆう雰囲気の時代でした。 外国では日本人=金持ち=狙われる。という方程式が出来上がっていたわけで… LAも日本の銀行 自動車会社 電気機器会社が 一等地のビルを買い占めてオフィスをかまえていました。 当時 LAに電車 地下鉄はなく 市内は車社会で 日本車が多く とくにDATSUNやTOYOTAのピックアップトラックが大人気でした。当時世界中で日本アズNO1と言われながら まだ今のように野球選手 サッカー選手 歌手の世界進出はなく「自動車 電化製品 銀行」ばかりが先行していて 顔の見えない日本人に多くの外国人がイラついていたいた時代でもあったと思います。で おいらは LAで見つけた小さなホテルのフロントで対応してくれた頭にターバンを巻いたおじさんに「あんたが噂のにほんじんか。」と言われました。(オイルマネーで大成功したアラブ人の経営する安ホテル多かったです。) さぁ ここから数日間 LAでの体験はじまるのだぁ。。。つづく。
今日は暑かったぁー。思わず行きつけの蕎麦屋で せいろをたしなんでしまった。よい休日でしたぁー(^'^)
で まったく関係ない話ですが 最近 おいらの部屋に きび団子やおやつを贈ってくださる親切なかたがいるのですが…テーブルに置いておくと 外出中にだれかが食べてしまってるみたいです。ま いいんですけど…(・.・;) 贈ってくださったかた すいません(ノ_・。) てなわけで 今週もみんな楽しんでいこうぜぇぇー
ヽ(゜▽、゜)ノ
ほな

