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韓国旅行記

歴史、文学、伝承、民話、美術、飲食などを絡ませながら旅します。

2016.10.19

カトリック殉教記念館

海美邑城(ヘミウップソン)から
歩いて15分程、歩きました。


↑見えて来ました。あの建物のようです。


入り口に法王の像です。


↑後ろの高い塔は無名殉教塔でその下は無名殉教者の墓です。
身分の低い信者達は審理も記録もなく、殺されたようです。



フランシスコ教皇が訪韓した時に、
시복(諡福 / Beatification) 記念碑が建てられました。

諡福 ( Beatification) は
ローマ教皇の厳格な審査を経て決定されるので、諡福 を受けること自体が大きな栄光で祝福といわれてます。


시복(諡福 / Beatification) 記念碑の横に殉教記念展示館があります。

当時、殉教したカトリック信者達の遺品や遺骸が保管されています。

海美(ヘミ)で起こったカトリック迫害に関連した事柄や、フランシスコ教皇の訪問時の写真やメッセージを見ることができます。
 
 













↑海美邑城(ヘミウップソン)でみたフェファナム(木)での木に吊るされた拷問の様子です。


1790年代から約100年間にかけてカトリック信者達を大挙処刑したようです。

後には処刑する信者数が増えたため、生き埋めにしたようです。

その生き埋めにした場所に記念館が建てられました。それがここです。
海美殉敎聖地です。



 韓国にカトリックが伝播したのは
17世紀初め、中国から西洋文物を通して入って来ました。


この時、入って来たのが
世界地図とマテオリチが著した天主實義
です。


儒学者達は西洋文物と共に伝来したカトリック教を宗教生活の対象としてではなく学問的、思想的好奇心の対象として興味を持ちました。

これらは西洋の学問として西学と呼ばれました。

 
当時の学者で影響を受けたのが
권철신, 정약용, 이벽
たちが挙げられます。
主に南人系列の学者が多い)


平等を強調するキリスト教は、
両班(貴族)中心の社会体制に不満を抱え、伝統的な儒教的規範から抜け出ることを願う当時の社会の風潮とよくあい、

あらゆる階層の人々、特に下層民にとって1つの新しい信仰となっていきました。


国家としては放っておけば消滅すると考えていましたが、

儒教文化である法事を拒否するなど、国家転覆の素地が多分にあるとして危機感を覚えだしました。

結局、本格的な弾圧を始めます。

その中で史上最大のカトリック教迫害
(1866年、高宗3年、興宣大院君執権期)
の時はフランス神父9人と数千名のカトリック信者達が殉教しました。

そんな中、脱出に成功したリデル神父が中国、天津にいたフランス海軍司令官ローズ提督にこの事実を伝えることによって戦争が勃発します。

それが병인양요(丙寅洋擾)です。

ローズ提督はフランス艦隊7隻で江華島を占領してフランス神父を殺害した者に対する処罰と通商条約締結を要求します。

朝鮮軍は武力で頑強に抵抗します。

フランス海軍は40日後に退却しました。

この事件後、朝鮮の鎖国政策は一層強固になっていきます。


1866年の事件にはこういう流れがあったのですね。知りませんでした。


 続く〜