メモです。。。
Wikipedia「芥川也寸志」の項より。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%A5%E5%B7%9D%E4%B9%9F%E5%AF%B8%E5%BF%97
(前略)
1948年2月、東京音楽学校で知り合った山田紗織(別名・間所紗織。声楽科卒)と結婚。このとき芥川は紗織に対して「作曲家と声楽家は同じ家に住めない」と主張し、音楽活動を禁じる態度に出てもいるが、これはマーラーが妻・アルマに取った行動と軌を一にしている(しかし 二女をもうけた後、1957年に離婚。のちに紗織は画家として活躍する)。
(中略)
1954年、当時まだ日本と国交がなかったソ連に自作の譜面を携えて単身で密入国。ソ連政府から歓迎を受け、ショスタコーヴィチやハチャトゥリアンやカバレフスキーの知遇を得、ついには自分の作品の演奏、出版にまでこぎつけた。当時のソ連で楽譜が公に出版された唯一の日本人作曲家である。中国から香港経由で半年後に帰国。
(後略)
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横須賀美術館開催の「芥川(間所)紗織展」図録の「芥川(間所)紗織氏年譜」によれば、「1954年、夫・也寸志氏の東欧・中国旅行に同行」とあります。これが事実だとすると、Wikipediaの「1954年、当時まだ日本と国交がなかったソ連に自作の譜面を携えて(也寸志氏のみ)単身で密入国。」は誤りということになります。