スターバト・マーテル・ドロローサ。


 雑感を徒然なるままに。


 おとなになってから迎える誕生日の朝の感じは、子どもの頃に味わった感覚とはまた違うものである。それは、やらなければならないこと、やりたいことが一方にまだたくさんありながら、自分に残された時間が恐らくはそんなにないことをついつい想ってしまうからだろうか。


 夢の中で眠っている自分が、さらに夢を見ている夢を見て、起きた今朝。載っていることばが面白くて時々引いているカードを何気なく引いてみると、今朝のことばは、

静かに自分と向き合ってください。それによって、本来持ち備えている素晴らしい資質にあなたは気づくことができます。安らぎの中で、想いを整理しながら自分を愛することについて考えてみましょう。

というものだった。自分を愛すること。平生、「どうかくれぐれもご自愛ください」とひとに対してはしばしば言っているけれども、自分を愛することは本当に難しい。


 今朝、「健康に気をつけて役目に励みたいと思います」と両親や妹夫婦たちにメールで返信しながら、別に宗教的な意味で使っているわけではない、ひとりひとりの「お役目」のことを考えていた。すると、急に頭の中に、ローマ時代風の泉(小さな湖みたいなところ)の水門を管理、というヴィジョンが展(ひら)けた。なぜだかわからないけれども、非常に鮮明にそのヴィジョンは、清(すが)しい水音もあわせて、くっきりと浮かんだ。私は昔から、どういうわけか水と樹が好きである。とくに、樹は、自分が生まれたのがちょうど木曜日だったらしくて、不思議と親近感を感じている存在だ。今朝の水門管理のヴィジョンには、なにか意味があるのかもしれない。


 さて、世の中に目を転ずると、じつに薄汚いことが多くて、嘆きたくなる。


 たとえば、知人のやくにさんがブログに書かれている記事。
http://satoru99.exblog.jp/10441047/


 今回の騒ぎを、私も最初からそういうことだろうなと見ている。最近のマスコミはひどいということは、何も私が言い出した話ではないけれども、マスコミがたえず流している情報だけを真に受けると騙されてしまう。マスコミは大衆心理操作のプロだ。これはけっして被害妄想ではない。つねに自分の頭や心で考える習慣を身につけていくことが大事だ。人の意見任せにしないこと。マスコミ情報任せにしないこと。


 昨日、自分への誕生日プレゼントとして、吉村恒編『宗教音楽対訳集成』(国書刊行会)を買った。その中から、スターバトマーテルの冒頭の一節を引かせて頂く。


Stabat Mater dolorosa
juxta crycem lacrimosa,
dum pendebat Filius,


御母は立っていた、悲しみにくれて、
十字架のかたわらで涙にくれて、
御子がかかっているあいだ。