メモです。。。

 ヒマラヤとは、もともと古いサンスクリットのことばで、ヒマは「雪」、アラヤは「居所(→転じて、貯蔵する)」の意味があるようです。従って、ヒマーラヤとつなげて言うとき、それは「雪の居所」の意になるようです。「ヒマラヤ」は仏教の経典にもしばしば出てきます。漢訳仏典では「雪蔵」「雪貯」「雪山(せっせん)」などと訳されているようです。

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 三井修先生の歌集『砂幸彦(すなさちひこ)』(短歌研究社)p70より。

<ヒマラヤは風が経読む>ヌーヴォーのグラスを置きて人はつぶやく  三井修『砂幸彦』

 この一首、一読惹かれて、思わず栞を挟みこみました。。。

 三井先生は、同前書の「あとがき」で、

「歌の方は自分では相変わらずの自然体だと思っている。」

と、なにげなく綴られています。正直、私から見ると、「自然体」で詠うことは難しいです。作為に満ちみちて詠うことの方が何倍も楽だと感じます。うたの何か(本質といってもよいかもしれませんが)を掴まないままで、ポーズだけで「自然体」に詠ったら、そのうたはけっして「うた」にならないのではないかと思います。

 「自然体」。さっそく手帳に記しました。

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 その他。

 岡部さんの「一日一歌」
http://fumiokabee.exblog.jp/