BE THE HERO TO THE NEXT ONE IN NEED

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このブログは「教育から日本を変える」という志を立て、人のために生きようと決意した24歳の青年が今を生き、感じること、経験したことを綴っていくものです。

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「価値観」というのは面白いもので、色々な経験を通じ、形成されていくものなんだろう。


今の価値観と大学生だったころの価値観とは180度違うようだなあ。


それはやはり電気も水も無かったバヌアツ共和国での生活、山と川に囲まれた宮城県石巻市北上町での生活によるところが大きいようだ。


「田舎暮らし」っていいなあ。。


人間らしく生きる場がある。


Think globally, Act locally.


・・・


昨日今日、石巻市北上町に帰った。

長期ボランティアを一緒にしていた仲間と一緒に。


朝、ご近所周りして、朝ご飯2回御馳走になって、畑で芋植えて、

温泉入って、お祭り見て、仮設住宅の子どもと遊んで、ちょっと手伝って、

他のボランティア仲間と合流して。。


山が川が土が緑が温泉が人が、人間らしくしてくれる。



最高の一日でした。



今日朝曇り空の中、約550世帯ある亘理町の仮設住宅内を回り、今集会所でやっている学習支援の学級だよりをポスティングしていきました。


家と家の間を歩くと、やはり非日常が日常になっている違和感を感じずにはいられません。


色々と感じさせられます。



「復興」とはほど遠い現実。



無関心になっていく社会。



そこで生きる住民。



・・・


外で園芸をしながら座っている大柄の御爺ちゃんがいた。


学級だよりを渡して話していると、このお爺ちゃん、元いちご農家だという。


この震災でトラクターも機械も全て流され、いちごを作れなくなったって、寂しそうに玄関前で花をプランターに植えていた。


ここ亘理町はイチゴが有名。


「イチゴ」といったら「亘理」、「亘理」といったら「イチゴ」といった感じなんです。


イチゴの話、いっぱい話してくれた。


水が肝心なこと、出荷時のこと、イチゴを作り始めた時のこと。。。


ものすご活き活きとした表情で。



「亘理のイチゴってホント有名ですもんね~」


僕が言うと、お爺ちゃん、ニヤッとした表情浮かべてこう言った。




「亘理のイチゴはどこにも負げねえよ」



・・・


何か嬉しかった。


格好良かった。


見た目は真ん丸したお爺ちゃん。


でも自分の仕事に誇りを持っているこのイチゴ農家のお爺ちゃんが、もの凄く格好よく見えた。




どんな仕事に就こうと、自分の仕事に誇りを持てる。



簡単そうで難しい。



・・・


何か大切なこと、教えられました。


人の描いた人生の上を歩いていくことに、すでに出来上がっている道の上を歩くことに物凄く嫌悪感を感じる。


この人のそばにいたら引き上げてくれるだろうと期待していた自分がいる。


甘えていた。


人に、そして自分自身に。


・・・


もう一度、ゼロからやり直す。


ゼロから創る。


・・・


切り拓け。

今朝、昨年ボランティアで担当していた宮城県石巻市北上町に帰った。


ずっと活動中に来てくれていた千葉発、京成バスが日帰りツアーで交流会を行うので、お誘いをいただいた。


空は晴天、津波さえなければ本当に長閑でやさしい場所だったんだろう。

改めて被災地を見て回った。


そして住民の方、何人かに挨拶をした。


まるで息子のように迎え入れてくれる。


僕も古里に帰ったような、そんな気になる。


気にさせてくれる。


・・・

北上町の人、土地、景色、温泉、そして北上を目指して集まる人たち。。


この気持ちが「郷土愛」ってことなんだなあと、九州から遠く離れた東北で、感じた。


北上町と、一生付き合っていく。


改めてそう思えた今日という日でした。


ご無沙汰しています。


昨年10月にブログを終了してから約4か月が経ちました。


その後、色んなことがあり、11月からまたここ、宮城県にいます。


「ご縁」というのかなんというか。


アフリカ・スーダン共和国で医療活動を中心に活動しているNGO団体に今所属し、

宮城県亘理町で被災されたご家庭の小・中学生を対象にした学習支援を行っています。


このブログも再開し、定期的に更新していこうと思います。



「復興」と「教育」。



2012年、ゆっくり、どっしり、腰据えて頑張ります。







昨日、7年前に卒業した母校に帰り、高校2年生を対象に授業をしました。

ラグビーしかしてなかった高校時代。

9年前の2年の秋、盲腸の手術から復帰してラグビー楽しんでやってたのもつかの間、すぐに鎖骨を脱臼して落ち込んでたなぁ~…

皆元気にしてるかな~

当時の記憶が蘇ります。

あのグランドで…

きつかったなぁ当時。


9年前、来年度のキャプテンを任命された日から今までの道のりが始まったんだろうなぁ。

あの頃はメキシコでプロレスラーになろうと夢見ていました。笑

それから卒業、浪人、大学、留学、バヌアツ、企業、フィリピン、インド、石巻、北上町と色々なことがあったなぁと、講堂から顔を出した月を見ながら感慨深くなってしまいました。

フィリピンでのNGOのこと、そして石巻、北上町での震災ボランティアについて授業しました。

自分の中には後輩に伝えたいことがあって、それを意図して話しました。

何が残ったのか残らなかったのかはわからないけど、今の等身大の自分に出来る精一杯のことをやらせてもらいました。

何か大袈裟かもですが、高校から続く人生の1つの章が終わった感じです。

高校に入学した時、15歳。

今、気づけば25歳。

あんまり変わってないなぁ。。。笑


もっと成長しないといけんなって。

今から35歳までの10年間。

自分自身を磨いていきたいです。




10月に入り色々あり、これから国際NGOで働くことになりました。

紛争や自然災害で被害を被る人達を主に対象とした仕事になるようです。もしかしたら福島に行くかもです。



One Life,


「生を謳歌し、死を覚悟すべし」



1から頑張ります。




Life is a matter of choice.


どう生きるか。


これを選べる自分や日本人は本当に恵まれているんだろう。


世界中にいる約4300万人の無実の人々の存在を知ったならば。





このブログも今回を最後に筆を置こうと思います。

主に母校の後輩に対して、先に卒業したひとりのOBとして何か役に立てればと思い書き綴ってきました。


目的を果たせていたのかどうなのかはわかりませんが、今までアクセスして頂きありがとうございました。

今後は何か別の形で貢献したいです。


それではまたどこかで。



Android携帯からの投稿
石巻市北上町のある農家にトラクターを寄付するために募金を募らせて頂いていました。

予定していた70万円集まり、全額寄付しました。

この度ご協力して頂いた方々、そしてメールを送って頂いた方々に本当に感謝しています。

有り難うございました。

今後も完全に復興するまで年月を要するかとは思いますが、お互いアンテナ張り巡らせて、至る所から頑張りましょう。



県外からでは自分からアンテナを張らないと、徐々に今回の震災が遠い存在、どこか遠い場所で起きている関係ないことになっていくんだろうなって気がします。





「あの時、何しよったとや、くそっ」

これはバブル崩壊までの道のりの中を謳歌していた当時の若者、大人、政治家に対する僕の「怒り」です。


そやつらのツケが回ってきたのが、1990年代からの約20年間。


ふざけるな。


今回の震災、原発問題は疑いもなく、「バブル崩壊」が日本の「歴史」になったように、この出来事も「歴史」となるでしょう。

「あの時、何しよったとや」

未来にいるアイツやソイツに言われてたまるか。

僕は約4カ月弱、被災地でボランティアをしたけど、それは「ボランティア」という何か温かい、優しいものだけではなく、その根底には「この日本という国に対する怒り」があったんだなって、振り返ってみるとそう思います。



明後日、母校の高校で今回の震災に関しての授業をする機会を頂いた。


本音を話すと、周りの教師に怒られるだろうなぁ。。。

どげんしようか。。。


Android携帯からの投稿

今日こんな記事を読みました。


「築地銀だこ」石巻に本社 11月めど移転100人雇用

河北新報 9月7日(水)6時10分配信

 たこ焼きチェーン「築地銀だこ」などを運営するホットランドは6日、本社を群馬県桐生市から宮城県石巻市に11月をめどに移すと明らかにした。タコの加工工場も石巻市内に新設し、被災地の雇用創出を図る。

◎タコの加工工場も新設

 同社は8月、被災地支援の取り組みとして石巻市内に飲食店や運動用具店などを集めた「ホット横丁石巻」を開設。大型店にテナントとして入るなどの既存スタイルに加わる新業態を、本社移転などで確立する狙いもある。
 新本社はホット横丁に隣接する事務所に置く。正社員、パートなど計約100人を採用。業態開発や人材教育などを手掛ける。現在の本社所在地には工場や物流機能を残し、社員約20人の雇用も継続するという。
 新たな加工工場は年内の立地場所選定を目指し、石巻市と協議中。中国の工場で行っている年2000トンのタコのカット作業のうち約3分の1を移す。雇用規模は未定。
 同社は石巻市出身の社員がいることから、炊き出しなどの活動を震災直後にスタート。ホット横丁は長期的な支援策の一つとして発案し、約100人を雇用した。
 広報担当者は「本社移転は雇用創出の一環で決めた。新工場では水産加工が盛んな地元の人々の技術を活用したい。横丁は今後、東北の他地域や首都圏での展開を目指す」と説明している。

最終更新:9月7日(水)6時10分

河北新報

正直、嬉しいです。

これからのフェーズ(宮城県石巻市の場合)は仮設のケアだったり、いよいよ雇用を創出して、生計支援のような形になっていくんだなあと改めて実感しました。もっと企業には東北に進出してほしいです。

遠方から出来る支援としては、現実的にやはり具体的な義援金なのではないかなと思います。

仮設や公共施設など、国や市町村の目が届くところは遅くても支援が今後行き渡っていくと思います。

どこに行っているのか解らない「赤十字」の義援金も、仮設住宅の中で冷蔵庫など備え付けの家電製品に「赤十字」のシールがいっぱい張ってあり、「あっこういうところに使われていたんだ」と気づいたことを記憶しています。

問題は所謂「在宅難民」と言われていた方たちで、家はかろうじて残ったけど、床板張ったり、畳を購入したり、家電製品を買ったり、壁を張り替えたり、農機具を修理したり、リフォームにかかる費用は自分達で払わなければいけないらしいんです。どこの誰と顔が見える形で支援をピンポイントにしていくことが、今後被災地を訪れた者が出来る支援なんじゃないかなと思います。

僕の担当していた区域のある農家でトラクターが津波で駄目になりました。農村地帯であるこの町は畑や田んぼがメインの収入源であることもあり、トラクターがないということは、予想以上に大きなダメージなんです。

この方も出すからということで、中古のトラクターを探し寄付しようという動きになり、先週山形県で中古の70万円のトラクターが見つかりました。ずっと一緒に活動していたボランティアと仲間と募金を始め、現在40万集まっています。

もしこれを読んでいる方で少しでもご協力して頂ける方がいらっしゃいましたら、一報、僕へメールして頂けたら幸いです。詳細を送ります。

rugger-man-of-port.02@hotmail.co.jp

よろしくお願い致します。

宮城県石巻市を離れ、バスを乗り継ぎ20時間、地元である九州に帰り着きました。

全力で駆け抜けた復興支援。

さすがに北上町を出たとたん、疲れがどっと出て、しばらく何も出来ませんでした。

しかし、やはり今でも北上町のことが気になります。

北上町という小さな田舎町で、僕は数えきれないほどの多くのことを学びました。

「人を助ける」ってこんなに素敵なことなんだって。


これからしばらく地元で暮らします。

大学院留学に向けて勉強します。

もっともっと、desparateな環境下で生きる人達に寄り添いたい。


しばらく籠もります。笑

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