新聞赤旗2023年2月9日【2面】で、『「結社の自由」に対する乱暴な攻撃――「朝日」社説に答える』という記事が出ました。この中で、
日本共産党に対する攻撃にとどまらず、日本国憲法第21条が保障した「結社の自由」に対する乱暴な攻撃として、絶対に見過ごすことはできません。
「結社の自由」を保障した日本国憲法と民主主義に対する乱暴な攻撃です。
などと書かれています。
また、同日の志位委員長の記者会見でも、
「結社の自由」ということを全く無視した、これに対する乱暴な攻撃だといわざるをえない。それを「大手新聞」を名乗る「朝日」社説が行った。これは、あまりに不見識です。日本共産党の自主的・自律的な決定に対する外部からの攻撃です。
と述べられています。
朝日社説が結社の自由を侵害するという論理は、結構な違和感があります。
袴田事件は、除名処分となった党幹部を被告、党が原告となって起きた民事訴訟です。政党内部の行為について、司法審査は及ぶか?が争点となりました。
1988年の最高裁では、政党の内部的自律権に属する行為については、本来的には自律的解決に求めるもので、一般市民法秩序と直接の関係を有さない内部的な問題にとどまる限りは、裁判所の審判権は及ばないという判旨になりました。
仮に除名処分を不服として訴訟が提起された時にこれを持ち出すのは自然ですが、メディアに対して憲法上の権利侵害とまでいうのは論理の飛躍が過ぎるのではないでしょうか?
単に社説論旨の内容が事実関係に即して誤っていると指摘のみすれば良いところ、メディアに対して憲法上の対立点を鮮明にするのは、筋が悪いと考えていますし、過剰反応と思います。
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「結社の自由」に対する乱暴な攻撃――「朝日」社説に答える
政治部長 中祖寅一
2023年2月9日【2面】
「朝日」8日付社説は、日本共産党が、党規約に違反して党攻撃と分派活動を行った松竹伸幸氏を除名したことについて、「国民遠ざける異論封じ」などと攻撃しています。そして、日本共産党が党員の直接選挙による党首選を行っていないことに対して、「党の特異性を示す」などと非難しています。これらは、日本共産党に対する攻撃にとどまらず、日本国憲法第21条が保障した「結社の自由」に対する乱暴な攻撃として、絶対に見過ごすことはできません。
事実にもとづく公正な報道姿勢を自ら投げ捨てるもの
「朝日」社説は、「党のあり方を真剣に考えての問題提起を、一方的に断罪するようなやり方は、異論を許さぬ強権体質としか映るまい」と断じています。
しかし、「赤旗」8日付の土井洋彦党書記局次長の論文が具体的事実を示して明らかにしている通り、今回の除名処分は、松竹氏が、あれこれの異論を持ったことに対してではなく、それを党規約がさだめたルールに基づいて表明することを一度もしないまま、突然、規約と綱領に対する攻撃を公然と開始したことが、党員の資格と両立しないものとして行われたものです。
こうした党の表明に対して、「納得する人がどれほどいよう」と決めつけ、「異論を許さぬ強権体質」と断じるのは、メディアに強くもとめられる事実に基づく公正な報道姿勢を、自ら投げ捨てたものといわなければなりません。
「朝日」社説は、松竹氏の言動を、「党のあり方を真剣に考えての」――善意からの「問題提起」だと持ち上げています。
しかし、松竹氏が、善意から行動しているならば、なぜ規約をふまえルールに基づいて行動することをせずに、外から突然、攻撃を開始するという態度をとったのか。説明がつかないではありませんか。
安保条約堅持・自衛隊合憲論を党の「基本政策にせよ」と主張するなど、綱領と規約の根本を否定する重大な内容を主張しながら、「規約と綱領の枠内」(会見)という偽りを振りまくことが、善意に党を考える姿勢といえるでしょうか。
「朝日」社説は触れていませんが、松竹氏は、乱暴な党攻撃を書き連ねた本を1月に出版した鈴木元氏に対し、その内容を知りながら、出版を「督促」するなど、党攻撃のための分派活動を行っていました。これが善意の行動と言えるでしょうか。
党として公にしている事実を無視し、松竹氏を“善意の改革者”と持ち上げ、日本共産党に対し「異論を許さぬ強権体質」などという悪罵を投げつけることは、道理のかけらもないものです。
日本国憲法と民主主義に対する乱暴な攻撃
強い憂慮とともに指摘しなければならないのは、「大手新聞」をなのる全国紙が、その社説で、公党に対してこのような攻撃を行うということは、日本国憲法第21条が保障した「結社の自由」に対する乱暴な侵害であり、攻撃であるということです。
1988年12月20日の最高裁判決は、「結社の自由」について次のように判示しています。
「(結社の自由とは)各人に対して、政党を結成し、又は政党に加入し、若しくはそれから脱退する自由を保障するとともに、政党に対しては、高度の自主性と自律性を与えて自主的に組織運営をなしうる自由を保障しなければならない。他方、右のような政党の性質、目的からすると、自由な意思によって政党を結成し、あるいはそれに加入した以上、党員が政党の存立及び組織の秩序維持のために、自己の権利や自由に一定の制約を受けることがあることもまた当然である」
松竹氏は、「言論・出版の自由」を盾に、自らの党攻撃を正当化しようとしています。しかし、松竹氏は、自由な意思で、綱領と規約を認めて入党したのです。そうである以上、「自己の権利や自由に一定の制約を受けることがあることもまた当然」であり、「言論・出版の自由」を盾に、党攻撃を合理化することはできません。
また、日本共産党が、「政党の存立及び組織の秩序維持」のために、松竹氏の党攻撃に対して除名処分を行ったことをもって、「異論を許さぬ強権体質」と攻撃することは、政党の自主性・自律性に対する重大な侵害と言わねばなりません。
日本共産党は、党員の直接選挙で党首を選ぶことは、党規約の立場と相いれないと考えており、また、現行の選出方式が民主的で合理的であると考えています。しかし、そもそも、ある政党が、どのような方法で党首を選ぶかは、その党の「高度の自主性と自律性」に委ねられるべきであって、外部からの介入・干渉は許されるものではありません。「朝日」に指図されるようないわれはありません。
「党首公選制」が唯一の民主的制度であるとして、日本共産党の指導部の選出方法を「閉鎖的」「党の特異性を示す」などと攻撃することは、「結社の自由」を保障した日本国憲法と民主主義に対する乱暴な攻撃です。「結社の自由」を守れという声を、多くの方々があげていただくことを、心から呼びかけるものです。