今回は私の男女観について書きます。
 
私としては、「男はこうあるべき」「女はこうするべき」といった発想は昔からあまりなく、男女間の違いにわりと無頓着な方だったと思っています。
 
■幼稚園生の時、青エプロンとピンクエプロンの二択のところ、男子で唯一ピンクエプロンを選択。親が「ピンクでいいの?」と何度も聞いたらしいのだが(決して青にしなさいという意味ではない)、私は頑固な性格故、意思は変わらずピンクだった。
 
■親から、「男なんだからこうすべき。」と言われたことはただの一度もない(これは本当に有難かったと思う)。
 
■高校の時、先生が「この教室にいる人は2つに分けられますよね?なんですか?」と授業で質問してきた。私としては、文系か理系か、住んでいる方面かなどの回答が思い浮かんだのだが、他の生徒が「男女です」と即答したのが完全に想定外で、「あー、そういう回答があるのかー」と妙な納得感があった。
 
■レディファーストというのはよくわからない概念である。別にどちらが先だろうと関係ないと思っている。
 
■大学生の時に女子が「夜道をひとりで歩くときは気をつけています」と言ったときは、何に気をつけるのか意味がわからなかった。「え?何に気をつけるの?上から何か落ちてくるとか?」などと聞いてドン引きされていた模様。女性なりの苦労というものがあるというのを意識し始めたのは大学3年以降くらいからだと思う。
 
という調子で、ジェンダーを意識することがほぼなかったためにジェンダーバイアスは薄く、ジェンダー平等に理解があるわけではありませんでした(男尊女卑であるとも、女尊男卑であるとも感じた経験は思い浮かぶ限りではない)。
 
数少ない例外としては、表現の中に潜む男尊女卑には敏感であったくらい。
例えば、
■「婦」という漢字は嫌いであるし、「雌雄を決する」だとか「雌伏の時」「読者諸兄」「奥さん」などという表現を見ると不快に思う。
■受験勉強での英語長文読解で、女子大の過去問を解いていたら、主語が殆ど[man]になっていた。「女子大でこれはどういう発想なのか?」と不快感を覚え、全て二重線を引いて修正してから解答。「his」も全て「our」に修正してから解答。
 
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さて、私がジェンダーを殆ど意識せずに生きてきたのは、親の影響もあるが、ほぼ男の中で生きてきたからだと思います。
 
小中高は全て男女共学でしたが、女子と会話するのはせいぜい事務連絡程度で、それ以外話す機会はなく、また話したいという気もありませんでした。
部活、サークルは男子ソフトテニス部だったり将棋部と、ほぼ男性のみの環境でした。
大学以降は女性とも少々話すようになりましたが、日常的にたわいのない会話をする友人は全て同性(男性)でした。
 
といったことから、男女間の差について比較的無頓着に生きてきた方である気がします(ただし趣味嗜好の傾向と、容姿に大きな違いがあるということは意識していて、話し慣れていない自覚は強くあった)。
 
これについて思うことがふたつ。↓
 
まず一つ目。
このような私が社会人になってから違和感を覚えたことがあり、それは会社の中での会話で、周囲で男女を区別する言動が時折あったこと。
■懇親会でオシャレ(?)な飲み物を頼んだ同期の女子に対して、「めっちゃ女子!」と言う先輩(女性)(今だから言うと、この先輩は男女で対応が結構変わる方だったので苦手でしたごめんなさい。。)。
■逆に男の私が初手カシオレを頼んだら、「女子か!」と言われる。僕ちゃんはビールが苦手だから果実酒選んだんだけどな。
■女子校出身の後輩いわく、「私の周りの女子よりも女子っぽい」とのこと(おそらく私の普段の言動とかが)。それっていい意味なの?悪い意味なの?
 
私としては、女性らしく見られたいとは特に考えていなかったのですが、ジェンダーイメージに話がつながることに違和感を感じてしまいました。特に「女子力」という言葉は昔から心底気持ち悪いと感じており、嫌いな部類のワードです。自分が今までジェンダーバイアスをそれほど意識せずに生きてきた世界は、世の中としてはもしかしてもしかすると少し特殊なのかもしれない、ということを感じました。
 
とりわけ恋愛トークに巻き込まれると、多かれ少なかれ、「男はこうすべき」という話が間違いなく出てきます。つい最近感じたことですが、私が恋愛に消極的なのは、「男は奢るべき、エスコートすべき、ガンガン誘って攻めるべき」といった強い性別規範があるからだと思います(逆に女性の方はかなり受け身で許される雰囲気じゃないですか?)
 
実際のところ、かなりモテている男が言っているので原則論として認めざるを得ないのですが、そこまで価値観を転換しないとうまくいかない恋愛はめんどくさいなと思ってしまう自分がいます。こういうことを言うと、「モテない男が努力しない言い訳をしてる」みたいに思われんでしょう。実際のところモテていないですけど、その状況をマイナスとはあまり思っていないし、そもそもモテたいと思っているのか自分でもよくわからないです。モテた方がプラスだとは思うが、性別を根拠にした努力をすることに魅力を感じることができないです。
 
二つ目。
男女間の差について比較的無頓着に生きてきたのは、私が男であるが故にできたことであると、今では思います。
女性であれば、多くの局面でマイナスを被ってきて、見えない壁に何度もぶつかってきたのでは、と思いますが、そこに対する理解は浅かったです(今も浅いかも)。
 
典型例としては痴漢被害。私も男子から性被害めいたものにあったことはありますが、例えば日常的に電車内で触られたという経験はないし、第一そのようなことをする男性がいること自体が信じられないので、数年前までは被害を想像すらできませんでした。見えている世界が違ったのだと思います。
セクハラにあうことも女性の方が圧倒的に多いとは思いますが、そのような現場を見たことはほぼなかったし、被害の話を聞いたこともなかったので、就活セクハラなどの報道を見たとき、世界は自分が思っていたより深刻な状況だと初めて認識したのです。こんな状況は本当に変えなければいけないです。男性サイドにもっと状況が可視化される必要があると思います。
 
他にもいろいろありますね。
 
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と、ダラダラと書きましたが、ここ数年、数ある社会テーマの中で最も私の価値観が揺さぶられたのは、間違いなくジェンダーだと思っています。
 
政治以前に自分の生き方そのものに問いが立てられている感覚が今までになかったので、とても新鮮に感じているところです。
 
(※一年ほど前に下書き保存して半分お蔵入り状態になっていた文章があったので、掘り起こしてみました)