9月2日3日と、ハンセン病学習として群馬県草津町の栗生楽泉園に行ってきました。
栗生楽泉園は、全国に10数か所あるハンセン病療養所のひとつです。現在は職員の他、97名の療養者の方が生活しているということです。標高は約1200m。東京に比べたら随分寒冷な気候です。
到着後、まずは園内の社会交流会館というところで、療養所で生活していらっしゃるFさんのお話を聞きました。療養所で生活していらっしゃる方は、ハンセン病それ自体は治っていますが、後遺症を持っているため、障がいのある高齢者、という感じです。
その後は、U弁護士という、国賠訴訟に携わって活躍された方に園内(屋外)を案内して頂きました。
屋外には、盲人鈴というものが常時鳴っていることから、目の不自由な方がいらっしゃることがうかがえました(風情のない粗雑な電子音であったことは残念...)。
一番印象的だったのは、やはり、有名な重監房です。全国の療養所の中でも特に反抗的とされた者が収容され、高さ4mのコンクリート塀で厳重に囲われたこの監房で23名が亡くなりました。孤独地獄・闇地獄・飢餓地獄、これに冬季は最低零下20℃の極寒地獄です。 正式名称は特別病室ですが、もちろん治療というものは行われていませんでした。
現在は跡地ということで、その基礎部分しか残っていません。復元しようという声もあった様ですが、負の遺産ということでそのままになっています。園内で最も迫力を感じさせるところです。
U弁護士のお話も勉強になるというか、凄いなと思わされるものでした。
国賠訴訟にあたって、裁判官の検証があったのですが、その時にやはり当事者の苦労を裁判官に肌で感じてもらいたいと色々考えたそうです。
ひとつには、栗生楽泉園の北側に、旧道というものがあります。この道を使って、10キロ離れた花敷温泉の小学校から一俵16キロを2〜3俵、つまり約50キロのものを患者が運ばされたという実態を伝えるために、検証で裁判官に実際にちょっとやってもらおうとしたそうです。当時のU弁護士が「運んで下さい」と言った。裁判官は驚き躊躇し、検察官が反発していたところへ、某患者が、「私が運びます」と言って、50キロ背負いで、すたこらさっさと歩いていってしまった。その様子を見て裁判官は青白くなったそうです。
もうひとつ、U弁護士のお話で印象に残ったのは、訴訟を起こす最初の段階の時のエピソードです。療養所を回っても、原告集めに苦労したといいます。「平穏に暮らしている。世間の目につく様なことはしたくない」などと、患者から反発を受けたといいます。当初は訴訟を起こすことに反対派の方が多かったと聞き、まずこのことが驚きでしたが、それを説得して回ったU弁護士の凄さには尊敬の念を抱きました。
2日目は、栗生楽泉園内にある重監房資料館に行きました。この施設は最近できたものです。重監房の1/20の模型や、各種展示物を見学しました。
中でも、実物大の重監房再現があったのは良かった。入り口から4つの扉をくぐって、房の中に実際に入ってみました。扉を閉じれば中は暗闇。ほぼ何も見えません。こんなところに独りで閉じ込められ、一日二食の粗末な食事と酷い寒さの中で過ごさなければならないなんて、どんだけの牢屋だよと思わざるを得ませんでした。
しかし、闇・飢餓・孤独・極寒と並んで、或いはこれ以上に辛いだろうと思ったのは、することがないということです。ただ時が経つのを待つだけ、日にちを数えるだけ.....退屈すぎて死にそうです。私は去年秋、肺炎に罹患して入院しましたが、症状よりも、寝たきりですることがなく、退屈なことの方が苦痛でした。それ以上のことが最長で549日も続くとは...
非常に勉強になる2日間となりました。