政治系統の学習は、大学受験の勉強や法律学習と異なり、体系化されていません。
試験範囲など存在せず、皆が歩む既存のレールも基本的に敷かれていないですし、定番の参考書も聞きません。その分試行錯誤を迫られるでしょう。ここが面白く、また厄介なところです。
■質vs量
大学受験では、少ない参考書を完璧にするのが合格への道だと僕は確信しています。
例えば英単語帳であれば、シス単一冊を完全暗記するまでは他の単語帳には手を出さない、文法問題集は8周するという具合。
さて政治の勉強方法として、本は多くのものに手を伸ばすのがいいのか、数冊に絞って集中的に精読するのがいいのか、という話ですが、基本的には前者が適切であると考えています。
試験勉強の様に、ある程度体系化された範囲は存在しませんし、多様な価値観・思想があるわけですから、色々なものに触れる、つまり質<量で行くべきだと考えています。
ただし、特定のテーマを学びたい時、該当文献を4周、5周と読むこともあり得ます。
■政策各論に埋没しない
政策各論とは僕の造語で、TPP・改憲・集団的自衛権・原発・労働問題・イスラム国・領土問題・慰安婦・米軍基地、、、といったそれぞれの政策問題分野のことです。
社会問題を学習しようという時、この様なテーマ分類を頭の中に地図的に持っておくことは、意義のあることだと思います。
ただ、これを意識しすぎると、テーマ相互の関連性を見失う危険性もあると考えています。
例えば集団的自衛権と労働問題としての自衛隊、集団的自衛権と秘密保護法、ブラックバイトと奨学金、などの接続性を意識し忘れ、狭い視野にとどまってしまう可能性があると考えています。
■歴史を知ること
日本史、世界史、の特に近現代史はやはり重要であると思います。高校時代まともに歴史を勉強していなかった人は当然のこととして、履修者でも現代史は弱い面があるので、学習してみると良いと思います。
■古典を読むこと
哲学者、政治学者たちの古典、名著を読むのは時間のかかる道のりだと思いますが、成長に繋がります。
■ノート作り
これは人によってかなり方法が異なるはずですが、とりあえずノートは作った方が有益でしょう。
調べていて疑問に思ったことを書き込み、仮説まで立てて検証できれば最高です。
■アウトプット
政治系統の学習では、情報のインプットは意識しなくても全員行っていますが、アウトプットが難しい様に思っています。
大学受験であれば問題集や模試があり、法律学習であれば短答式や論述問題集が販売されていますが、政治学習(研究)となると、基本的にそんなものは存在しないので、意識的にやっていく必要性があると強く考えます。
その方法として、人と話すのは勿論一手段です。
ただ、それだけでは不十分で、文章を書くことが最も有益でしょう。
思考を文字化することで、物事が整理され、またその過程で新たな発見が必ずあります。発された瞬間に飛んで消える会話とは違って、後々で確認することができるので、理論発展に寄与します。
これは非常に時間と手間のかかる取り組みですが、必ず理論武装的成長に繋がります。
方法としては、ノートにひたすら書いていくアナログな手法は勿論のこと、TwitterやFacebook、ブログに投稿する方法があります。
Twitterは初期にいいのではないかと思っています。140字なので手軽に投稿できますが、字数制限があるためにあまり深く考えない癖が出てきてしまう恐れがあります。
■禁反言について
人間には、一貫性のある行動、態度を取りたいという心理があります。これはビジネスの世界でも広く応用されていますよね。もちろん悪用もされています。
ひとたび政治的意見表明をしたならば、当人は以後その発言にどの程度拘束されるのでしょうか?これは、とりわけ真面目な性格で筋を通したい人が悩む問題だと思います。
例えば僕が「TPPに反対」と言います。ところが後になって「考え直したらやっぱり賛成」と言えるのでしょうか?
そもそも最初から完璧など求めるのは不毛であり、社会通念上相当と認められる期間が経てば、意見変更はできると考えるべきでしょう。
学ぶ過程、考える中で思想が変わるのは自然なことで、禁反言絶対にとらわれてそれを抑圧するのは、かえって政治参画のハードルを無意味に上げる結果に帰結し、極めて非生産的でしょう。
ただし、意見変更・転換の前後で相当期間が経過することと、相応の理由説明は必要です。極端ですが、TPP反対と言った翌日に、允当な理屈なしに「TPP賛成」では、ただ信頼を失うだけでしょう。
また、その変動・転換が許容される幅、及び期間の長さ、説明の理論的レベルは、その人の地位や社会的影響力によって変動します。極端な仮想ですが、総理大臣がころころ政策や持論を変更するのは許されません。しかし我々はただの一般学生。身構えすぎて、難しいと無駄に悩む方が損失です。
特に無意味なほど真面目な人に言いたい。矛盾があっていいです。むしろ社会科学で矛盾の一切ない整然とした人間なんて、不気味でしょう。矛盾がある中で考える。
■なぜ実態を捉えるべきか
いつからかは存じませんが、私の所属するサークルでは、「実態を大切にすること」が半ばスローガンになっています。
なぜ、社会問題について思索し、研究するか?
それは、本来的に問題解決、状況改善のためであり、現場軽視の一般論・抽象論一辺倒では、問題当事者の現実的救済に繋がらないという考え方です。
例えば、原発を考えるとき、電気の供給、エネルギー安全保障、原子力村の構造、原発輸出、などの話は極めて重要ですが、それらが福島をはじめとする被曝者や避難者を完全に脇においての議論では、何のための政治かということになりかねません。平易に言えば、困っている人がいるから社会問題になるのです。彼らを等閑視した象牙の塔のまま終始しないよう、現実の問題解決に繋がるような姿勢で臨むのが理想だと思います。
(一方で、統計を見る、数字で語るというマクロ的視点も持ち合わせれば、非常に強くなります。
2021/02/13追記:「データえっせい」という舞田敏彦さんのページは統計分析で結構有益だと思います)
■一次資料に目を通す必要性について
政策は基本的に法律によって実現されるので、その政策の是非を表明する時、その文言を逐一確認すべきか、という問題があります。
当然これは読んだ方が良いに決まっており、読む意識を持つことは大切ですが、現実的にこれは難易度の高い取り組みであることも事実です。
特に安保法は敢えて理解しづらい様に構成されていますし、昨年のTPP大筋合意の文書は英文で1500頁ありました。これら全てに目を通さねば意見できないというのは、実質的に言論封殺です。
■言葉の獲得
某新聞に「言葉を獲得することで世界が広がる」という記事がありました。その通りだと思います。
積極的平和とか有利原則とかある程度難しめの用語はいいのですが、恐らく最も厄介なのは、民主主義とか保守など、日常的に皆がよく使う言葉でしょう。こういった多義性の高い言葉の、自分なりの解釈をつくっていくことが大切なのかなと思います。
これらは簡単には解が見つからないからこそ、考える価値があると思います。その中で矛盾があってもいい。良い問いは良い答えに勝ると考えます。
以上