「日本、中国、韓国が同じ歴史認識を共有することが大切」という人がいる。
この言葉を聞く度に、疑問を抱かざるを得ない状態がもう半年以上続いている。
(完全に)同じ歴史認識を共有するというのは、絶対に不可能だ。
例えば、アメリカで61年から65年にかけて戦われた南北戦争は、北軍からすればアメリカ合衆国再統一戦争にあたる。
しかしアメリカ連合国側からすれば北部による侵略戦争であり、実際、南部諸州の人は戦争終了後数十年を経ても、北部に対する恨みを抱き続けたという。現在でも、北部では市民戦争と呼ばれているが、南部では「北部による侵略」と学校で教えられている。
初めてアメリカ人間にこうした認識の隔絶があると知った時は驚いた。
歴史とは、立ち位置や価値観などによって、受けとめ方が変わるものだ。というか、変わらざるを得ない。しかし一方で、あまりにも大きな開きがあるのでは、当事者間の将来にとってプラスとはならないと思う。
アメリカで具体的に何が起きたかは無識なのでわからないが、その齟齬は悪影響をもたらしたのではないだろうか。戦争や紛争ののち、それぞれが言いたいことを一方的に言い合うだけでは、傷は深まるばかりではないか?戦争までして事後処理がこれでは生産的な話ではない。
私たちに大きく関わる日中韓の問題でも「真逆の認識で何が悪いのか?真逆で結構」という意見の人がいるが、流石に妥当ではないだろうと思う。あるいは、一方の認識を他方に無理矢理の形で押し付けるのは最悪の事態である。
完全共有はできない、でも真逆なのもよろしくない。だから、互いの理解のために、どこまで溝を埋めるべきか、というのが問題となるのだが、この点が滅茶苦茶難しい。僕が不勉強なのもあると思うが、ここについて突っ込んだ意見を未だ聞いたことがないし、僕自身わからない。
現実の過去に何が起きたのかという真実探求もさることながら、この問題も結構ハードな課題が多いのではないかと思っている。