【政治に関する客観問題①】
<靖國>
靖國問題は、日本の戦争問題・歴史認識と非常に深く関わり、多くの側面を持つ複雑なトピックである。
そもそも靖國神社とは何だろうか。
一言でいえば、明治維新からアジア太平洋戦争での戦没者を【 ① 】として祀っている神社である。日本の軍人・軍属を主な祭神として祀っている。東京大空襲の犠牲者など、民間人は合祀されてい【 ② る/ない】。
幕末から明治維新にかけて功のあった志士に始まり、1853年のペリー来航以降の日本国内外の事変・戦争等(すなわち、戊辰戦争・明治維新から大東亜戦争まで)、国事に殉じた軍人・軍属等の戦没者らを【 ① 】と称して祀り、その柱数は約【 ③ 】万である。うち、アジア太平洋戦争での合祀者は約213万と、合祀者全体の86%を占めている。
大村益次郎が東京に招魂社を創建することを献策し、明治天皇の勅許を受け、【 ④ 】年(明治2年)、【 ⑤ 】という社号で創建される。その約10年後の1879年、現在の社号【 ⑥ 】に改称された。
解答
①英霊
②ない
③250(247)
④1869
⑤東京招魂社
⑥靖國神社
<集団的自衛権>
昨年7月1日、安倍政権は集団的自衛権の行使を容認する【 ① 】を行った。
非常に多くの論点があるが、ここでは集団的自衛権に関わる法的知識として、【 ② 】の規定を簡単に確認しておきたい。大きく3つの原則がある。
(その1) 1945年に調印された【 ② 】では、武力行使禁止の原則が採られた(§2)。これは世界中のあらゆる国家を拘束するもので、国際関係で武力行使をした国は非難対象となる。この原則は、数々の悲劇的戦争から人類が地道に築いてきた貴重な財産である。
(その2) しかし、現実に違法な武力行使が発生する可能性は否定できない。その際には、安保理決議に基づき、被侵略国だけでなく、国連加盟国全体で反撃を加え、平和を維持しようという想定がされている。この仕組みが【 ③ 】(collective security)である(§1)。
(その3) しかし、安保理の判断に全てを委ねるのでは、迅速な対応は保障されない。従って、被侵略国は、その侵害を除去するために、安保理が必要な措置をとるまでの間、必要最小限度の範囲で反撃等の措置をとることが可能とされる(§51)。この権限が「自衛権」であり、これは2種類に分かれる。【 ④ 】とは、A国がA国自身を防衛するための措置をとる権限である。他方の【 ⑤ 】(right of collective self-defense)とは、A国が、B国の自衛に協力する権限である。
以上をようするに、「自衛権」は、武力不行使原則に対する例外であると同時に、collective security体制に対する例外的な措置であるということができる。「自衛権」は例外中の例外という位置付けなのである。
解答
①閣議決定
②国連憲章
③集団安全保障
④個別的自衛権
⑤集団的自衛権
<アベノミクス>
アベ+エコノミクス=アベノミクスとは、3本の矢からなる経済政策である。
第一の矢は、大胆な【 1 】であり、経済学的にはマネタリズムの主張を受けている。市場が期待している以上の金融緩和を行って「ミニバブル」を起こすもので、日本経済の長期停滞は、お金不足によるものだと理解しての政策ということになる。
第二の矢は、【 2 】に依拠する機動的な財政政策である。公共事業をドンと増やすものだ。長期停滞は需要不足によるものだと理解した上での政策ということになる。
中長期的施策たる第三の矢は、民間投資を引き出す【 3 】で、規制緩和、税制改革などにより投資増大を図る。こうした政策を主張するのはサプライサイド経済学であり、投資環境を改善する方法として規制緩和が最も重要という内容に注目すると、それは新自由主義経済学の主張を受けたものということができる。
第三の矢の中身は非常に多岐にわたるが、昨今は特に雇用規制改革が注目を集めている。今国会では、生涯派遣法と批判される【 4 】法改定案や、残業代ゼロと批判される高度プロフェッショナル制度導入を目玉とする【 5 】法改定案などが上程されている。
*④は成立。
解答
①金融緩和/金融政策
②ケインズ経済学/ケインズ主義
③成長戦略
④労働者派遣
⑤労働基準
<ハンセン病>
日本にも古くから存在した病気、ハンセン病は、【 1 】への感染が原因となる。発病すると、手足等の末梢神経が麻痺したり、皮膚に様々な病的変化が発生する。早期に適切な治療を行わないと、末梢神経に障害が起き、汗が出なくなったり、感覚の喪失に繋がり、身体の一部が変形するという後遺症が残ることもある。
我が国では、1931年に、全ての患者の隔離を目指した【 2 】法が成立した。人々のハンセン病への無知や嫌悪を推進力に、各県は、らいの根絶を掲げ、患者のいない状態にする【 3 】運動が行われた。患者を見つけ出し、療養所に送り込む施策が競うように行われたのである。保健所職員が患者の自宅を徹底的に消毒し、人里離れた療養所に送られていくという光景が、人々の心の中にハンセン病は恐ろしいというイメージを植え付け、それがさらに偏見・差別を助長する原因ともなった。
そこでは病人に対し重労働がかせられ、それが原因でさらに病状が悪化することにつながった。
患者を統制するために、療養所長には【 4 】権が与えられ、監禁室が登場し、懲罰による秩序維持まではかられた。
隔離政策で最も有名な施設といえば、群馬県の【 5 】園という療養所の正門近くにあった特別病室、いわゆる【 6 】だろう。ここには全国から「特に反抗的」とされる患者が連行されてきた。監房内は、極寒地獄・暗闇地獄・孤独地獄という過酷な環境だった。
1940年代にアメリカで、【 7 】という特効薬が開発された後も、隔離政策は依然として続けられ、結局【 2 】法が廃止されたのは、(西暦)【 8 】年のことであった。2001年には国家賠償請求訴訟で、患者側が全面勝訴。しかしその後も、温泉ホテル宿泊拒否などの事件が発生しており、現在でも差別・偏見が完全になくなったといえるわけではない。
解答
①らい菌
②らい予防
③無癩県
④懲戒検束
⑤栗生楽泉
⑥重監房
⑦プロミン
⑧1996
(以上)