まだまだ梅雨明けしそうにないところ多いようですが、もうすぐ夏休みですね。


夏休みといえば、苦手科目の克服、夏期集中特訓、夏合宿…の季節であります。



夏休みの計画なんて立ててみて、うまくコトが運んで苦手科目が得意科目になればイイですが、そうそう世の中うまくいきません。


夏休みの宿題さえ終わらなかったりするのが現実であります。




なかなか変われないでいる親という切り口で何回か記事を書きました。


子どもの非行の場面だけじゃなくって、夫婦の不和でも、根っこは同じでは…?とも書きました。



仕事でそういったお話を扱っていると、当事者にその原因を尋ねる時がよくあります。



「その原因はなんですか?」



ここでいう「その」は、何でもいいんですよ。子どもの非行、夫婦の不和から始まって、犯罪や、約束を守らなかったこととか、そういった事柄全部あてはまります。


で、その答もいろいろです。


「それは…子どもの学校の先輩達に誘われるからです」


「それは…借金のせいです」


「それは…仕事がなかったからです」


「それは…離婚して父親がいなかったからです」


「それは…病気の家族を看なければならなかったからです」


などなど…




親御さんに

「子どもさんの交友関係については、もう親から厳しく監督してもらわないとまずいところに来ているという話は前回の審判の時にあったでしょう? どうしてやってもらえなかったんでしょうか?」

なんて聞くような場面でも、だいたいこんな答です。



それぞれ、いろいろあって大変なんですな。



じゃあ、原因がわかったんだから問題が解決するか? というと、なかなかしない。変われない。


自分が変われない状況は苦しいでしょうね。

そう思います。


しかし、自分が変われないことに甘んじている人の場合、つい、こっちも意地悪な質問をしてしまいます。

次のやりとりは、相手が被告人でも、少年でも、少年の親でも、同じようにしますね。




「借金のせいですか? ほんとにそう思いますか?」


「借金があったから、仕方がなかった…という意味ですか?」



しつこくそう聞いても、あっさり「そうです」なんて答えてしまう人がいます。

違うんだよ。

しつこく聞くのには意味がある。



「あのね、あなたと同じぐらいの年齢であなたと同じくらいの借金をしている人って、全国に何人ぐらいいると思いますか?」


「その人達は、みんな、今回のような事件を起こしているんでしょうか?」


「全員? えっ? みんなではないの?」


「じゃあね…そうやって、同じように借金で苦しんでいながら、かたや、あなたのように事件にまきこまれてしまう人…と、そういったことに関わらずにやっていく人と…その違いはどっからでてくるんですか?」


「そういったこと考えないんですか?」


「でも、それって大事なことではないですか?」


「大人になって、こうやってくりかえし裁判所に来るようになってしまって、それでもまだそういったことを考えられない…それって大問題じゃないですか?」






親が離婚していて、子どもが非行事件を起こす場合がある…

一方で、親が離婚していながら、子どもは立派に生活し、少年非行にかかわらないで成長する場合もある…


その違いはどこにあるか???




「対策」は、そこを真剣に考えてからやっと見えてくるのでは?


そこをあまり考えないで、安易な答にしがみついているから、事態が変わらないのでは?