新興宗教団体 H では

信者さんに対し、

法要や祈祷といった

儀式だけを行なっているのではなく、

 

「お尋ね」という

手紙のやり取りによる相談や

 

「面接」という

管長と面談して直接相談する

といったこともしておりまして。

 

お仕事関係の相談にいらっしゃる

有名企業の社長や政治家もいらっしゃれば、

借金に悩まされてやってこられる方、

土地関係の問題を抱える方、

結婚を控えたカップル、

大病を抱えられた方、

家族や進路などの悩みを持つ

主婦や学生もいらっしゃいますので、

 

方面、分野を問わず、

さまざまな相談が寄せられます。

 

 

しかし、

それらに対して答えを提供する

肝心の H の長、

 

つまり、

現在管長の座につく父はというと、

 

人の話を聞くのも、

新しく何かを勉強するのも

大の苦手なのです。

 

仮に、信者さんに、

知識に基づいたアドバイスを求められても

まともな答えを返せるわけがありません。

 

ちなみに父の知識の主なソースは

「日経ビジネス」や「ダイヤモンド」など

暇つぶしに行った近所の本屋で

目に留まった月刊のビジネス雑誌です。

 

その雑誌も全て読むことはなく

見出しや小見出しだけを見て

 

「ほぅ、今はこれが流行ってるのか…」

 

という興味本位程度の情報収集。

 

記事を書いた方に申し訳ないような

誤解をしてる場合も多いし、

自分でテーマを掘り下げるために

後から調べ物をしたりは

 

絶対にしません。

 

元から読書が好きではないのに加えて、

堪え性がなく、人並みの知識欲もなければ、

自分より知識を持つ人への敬意もありません。

 

ですから、

仕事である宗教や仏教や神道に限らず

専門書の類は一切読みませんし、

専門家や「先生」と呼ばれる類の人の

話も聞こうとしません。

 

スマホやPCも使えないので

ネットで調べることもできません。

 

しかし、これでは、

相談に来た方々のニーズに応えるのは

非常に難しいので、

 

彼の貧しい知識を総動員しても

分からない分野については

私や他の従業員に調べさせます。

 

私たちに調べさせる場合、

相談にいらっしゃった信者さんが

最初に仏間で仏様にごあいさつしている間の

ごく短時間に「〇〇について調べとけ」

と、丸投げされることが多いです。

 

従業員は諜報員ではないので、

そんな短い時間で詳細なリサーチなど

できるはずもありません。

 

ほとんどの場合、

ググって最上位に載っているサイトの知識を

父に説明して、時間切れになってしまいます。

 

しかし父はその知識を、

 

「神仏が認める

もっとも正しい知識」

 

として

相談にいらっしゃった信者さんに

ドヤ顔で「ご披露」します。

 

案の定というか、

大概の場合、

 

常にその悩みを向き合っている

信者さんの方が、その分野について

父よりもずっと知識量があるので、

あんぐりされることも多いです。

 

恥ずかしさの極みです。

せめて早く共有してくれ。

もっとマシなリサーチするから。

 

…詳しいリサーチと

それに基づく細かい説明をしても

本人の理解力が追いつくかは

定かではありませんが…

 

 

とはいえ、

馬鹿にできないのが

「神仏が認めた知識」という

お墨付きの部分です。

 

悩みを抱えた信者さんは

自分が持っている知識を総動員しても

解決しない今の問題に対して、

 

たとえその筋の人なら誰でも知っている

当たり前の知識であったとしても

 

「神様や仏様が正しいとおっしゃる知識」

 

としてご披露されてしまうと

 

「実は管長の言う当たり前の知識は

自分にとって盲点だったんじゃないのか」

 

などと裏目を考えてしまう心理すら

起こってしまうようです。

 

誠実な人を相手にするからこそ

起こってしまう現象かもしれません…

 

 

神様や仏様の名を語ることは

それほど人の心を動かしてしまう

重大な行為なのだと、私は思います。

 

しかし父は

自分の語りを肯定させるためにのみ

神様と仏様を持ち出すのです。

 

目の前の信者さんや

画面の向こうで管長のためのリサーチで

大変お世話になっているWikipediaを

埋めてくれる方々などを始め、

 

各方面にとても失礼、かつ、

とても無責任なことをしていると思います。

 

これは

私が H で働いていた時に

最も許せなかったことのうちの

一つです。

 

 

そして、

既にお察しかもしれませんが、

 

父は、私や他の従業員から

「事前レクチャー」されたことが

その場で理解できない場合も多いのです。

 

その場合、知識ゼロ、

ぶっつけ本番で信者と話し、たいてい、

自分の固定観念で空想を話したり、

関係があるような、無いような、

神様や仏様の話だけして終わりとか、

 

何とかなると神仏はおっしゃっている

 

などと言い放って相談が終了し、

信者さんも一応お礼を言って

お帰りになります。

 

 

最悪の場合は、

自分にとって「訳の分からない相談」を

持ちかけてきた信者さんに対して、

 

怒りを露わにします。

 

理不尽極まりないです。

 

常時この調子なので、

信者さんを混乱させることもしばしばです。

 

 

自分自身の人生や家族の

一大事がかかっている。

 

そんな重い案件を抱えて

H に相談にいらっしゃる

信者さんも多いですから、

 

「何たる無責任か…」

 

と、歯痒い思いでした。

 

そのような父に

熱心に相談に行っている

信者さんたちを見てきて、

 

私は何度となく

 

なぜ父に尋ねるんだろう。

その悩みにはもっと適した

相談相手がいると思うけど…

 

とモヤモヤしていました。

 

 

これをご覧になっている方々は

 

「そんなもの流行らないだろ」とか

「クレーム出るだろ」とか

 

思うかも知れません。

 

もちろん私もそう思います。

 

しかし、

悩みを持っている人は、

藁をも掴む思いでいらっしゃるのです。

 

自分の知り及ばない神仏のお話を

強い語調過剰な自信をもって話されると、

その圧力に圧倒されてしまい、

 

弱っている上にさらに理性的な判断が

できなくなってしまうのかも知れません。

 

ちなみに、信者全員が全員、

思考の余裕がないわけではなく、

中には父に言われた忠告を

アドバイス程度に捉えて、

 

「そういう意見もあるのか」

 

と、一意見として自分の肥やしにし、

H の神仏も手を合わせる対象として

解釈する方もいらっしゃいます。

 

占いのような使い方といえばいいでしょうか。

 

ですが、

多くの信者さんは一大決心

 

場合によっては

家族全員に関わる決定や

経営している会社の全ての判断を

H に委ねてしまいます。

 

恐ろしいことです。

 

 

 

さて、今日のところは

 H に人生相談をした場合、

どういう流れで父が返答するのかを

お伝えしました。

 

こんなにテキトーなのに

それでも信者がついてきてしまう

メカニズムについては、

実際に間近で見てきた私の仮説を

追ってお話ししようと思います。

そして、

 

こんな相談するまでもないことを

お金払って相談しに来るほど

依存してしまっているのか、

この方は…

 

こんな内情の H に

こんな大事なこと相談していいのか?

 

プライバシーは?

コンプライアンスは?!

 

お前、部外者のくせに

他人の人生なんだと思ってんだよ!

 

とドン引きした

具体的なエピソードも

追々ご紹介しようと思います。

 

長年経験してきた私でも引くレベルで

文章にするのがはばかられるような

いろんなことが起こりました。

 

何をどうあげていいやら…