7月はなだらかに過ぎる
http://kokumaijp.blog70.fc2.com/blog-entry-113.html
日々の暮らしや生活というのは、小さな一日の積み重ねであるわけで、
ひとつひとつにはよく見るとこの雲の色のように様々な一日があるものだが、
例えば、ものさしの尺を変えてここ数ヶ月をざっと振り返ってみても、
自分にはたいして人に自慢できるような特別なことはなかった気もする。
しかしその「過ごしてきた時間の塊」は形こそ大きく変わっていないけれど、
どんどん彩られていくというか、何というか果実が熟れている感覚というか、
同じ季節に巡り逢うたびに、その中身が潤っているような感じもある。
ただ、果物もあんまり熟れすぎると逆に美味しくなくなったりするものです。
何事にも『旬』というのはあって、微妙な季節や時間の流れを感じながら、
その時そのときの自分に最適な状態やものって一体何だろうとか考えつつも、
無意識に色んな影響を受け、時には選択をし、僕らは生きているんだと思う。
なぜなら溶けたアイスクリームは本当の美味しさを表現できないし、
缶ビールのない夏は、人のいない遊園地のように寂しくて何か物足りない。
指揮者のいないオーケストラは、大切な夜を演出してくれない。
「誰と話す」「何を話す」「どんな言葉で話す」そして「何を食う」
何事にも組み合わせというのはあるものだ。
果物はそれぞれ旬に合わせて季節毎に食べて生きていきたいと思っている。
作物には、種まきと収穫があるように、
なだらかに過ぎゆく季節にコントラストをつけるのはやっぱ自分なんだよな、
とか思いながらも、今日はクーラーの効いた家で一日中ダラダラとダラケて
本当に何もしない一日を過ごしたワタクシなのでした。
たまには電源落としてみようぜ。
そういえば、夏が来たね。
ではでは。また会いましょう!
*以下2010.06~07の写真 本文とは特別な関係はなし シゴトとかプライベートとか色々
日々の暮らしや生活というのは、小さな一日の積み重ねであるわけで、
ひとつひとつにはよく見るとこの雲の色のように様々な一日があるものだが、
例えば、ものさしの尺を変えてここ数ヶ月をざっと振り返ってみても、
自分にはたいして人に自慢できるような特別なことはなかった気もする。
しかしその「過ごしてきた時間の塊」は形こそ大きく変わっていないけれど、
どんどん彩られていくというか、何というか果実が熟れている感覚というか、
同じ季節に巡り逢うたびに、その中身が潤っているような感じもある。
ただ、果物もあんまり熟れすぎると逆に美味しくなくなったりするものです。
何事にも『旬』というのはあって、微妙な季節や時間の流れを感じながら、
その時そのときの自分に最適な状態やものって一体何だろうとか考えつつも、
無意識に色んな影響を受け、時には選択をし、僕らは生きているんだと思う。
なぜなら溶けたアイスクリームは本当の美味しさを表現できないし、
缶ビールのない夏は、人のいない遊園地のように寂しくて何か物足りない。
指揮者のいないオーケストラは、大切な夜を演出してくれない。
「誰と話す」「何を話す」「どんな言葉で話す」そして「何を食う」
何事にも組み合わせというのはあるものだ。
果物はそれぞれ旬に合わせて季節毎に食べて生きていきたいと思っている。
作物には、種まきと収穫があるように、
なだらかに過ぎゆく季節にコントラストをつけるのはやっぱ自分なんだよな、
とか思いながらも、今日はクーラーの効いた家で一日中ダラダラとダラケて
本当に何もしない一日を過ごしたワタクシなのでした。
たまには電源落としてみようぜ。
そういえば、夏が来たね。
ではでは。また会いましょう!
*以下2010.06~07の写真 本文とは特別な関係はなし シゴトとかプライベートとか色々

















