FOR ALL ROUTINE WORKERS -250ページ目

『灯台(とうだい)下(もと)暗(くら)し』


 
『灯台下暗し』
「灯台」とは、昔の室内照明具のこと。灯台のすぐ下では却(かえ)って光が届かずに暗いことから、身近な事情に疎(うと)いことを意味する。身近な事というのは、案外分かり難(にく)いものであるということの喩(たと)え。


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親愛なる友人へ。

この写真は僕の部屋にある照明。

世田谷に越して少し経った頃に、都内のある雑貨屋で購入したものです。ちょうど2年くらい前で、初夏の日曜日、お休みの日でした。その日は1日中雨が降っていたので、濡れないように持って帰るのに苦労した記憶があります。いつものように緑色をした風の谷で電車を降り、傘と紙袋を手に途中のコンビニで買い物をして帰宅。お風呂上がりに部屋を暗くして、雨の音をおつまみにビールを飲みました。初点灯の瞬間の心が躍る感じ、懐かしいです。

今までにこの照明の写真を何枚か撮ったし、我が家に遊びに来ると大体どの夜もこの明かりが灯っていたので、きっと記憶にあると思います。



それで、つい数日前の話なのですが、この照明の電球が切れました。
買ってから初めてだったから、ちょっと昔を思い出したのかもしれません。

過去から未来へと流れ続ける「時」は、目に見えたり手で触れたりするものではないと思います。けれど、たまにその姿を現すことがあったりして、隠し絵のように、日常から時間という概念が浮き出て見えることってありませんか?

電池切れの時計、放置された車のタイヤ、雨の音、引き出しの奥にある万年筆、コートのポケットに眠っていた映画の半券、カーペットについたベットの足跡、色褪せたノートのページ、音飛びのするレコード、波打ち際の流木…。

過ぎてゆく時間は、意外と身近な所に身を隠していて、そういうのを感じたり見たりするのが好きです。切れた電球だって、嫌いじゃないです。

自分の意志とは関係なく、毎日流れていく時間。昨日と今日と明日の区別もつかないように思うこともあると思います。僕も時々そうだから。特に語れることもないって意味での「普通な毎日」ってのは、できることなら避けたいね。

いつか気がついたら、浦島太郎のようにものすごく年を取っている現実が待っている。そんな気がして怖い時もあると思います。

だから、もし、今度あなたの部屋の電球が切れたら、たった5分間だけでもいいから、切れた電球を手に取って止まってみよう。そして、あれやこれやと思いを巡らせてみてください。しばし浮世を離れ、そこにある時間を感じながら、過去と未来を行ったり来たりするのも悪いことではないです。

もちろん、その電球はもう電気をつけられません。
でも、もしかしたら、暗く沈んだ僕らの心に、小さなちいさな明かりを灯してくれるかもしれません。

あなたの心が、今日も、明日も、あなたらしく輝いていますように。
現実的な自分とさようなら。共に光と影がある夢を見ましょう。

僕は明日、新しい電球を買おうと思います。
おやすみなさい。