政治界には無知無縁のしかも半分呆けている後期高齢者の私が、かねて安倍氏に感じていたことは、何故か脇がだらしなく甘いこと。
妻共々 何かしでかしてから ”後は下々が、ちゃんと始末してくれるはず。”と当たり前で思っている様に見えたこと。
呆れる様な事も、テレビで何度もみた。
途中で放り出してばかりに見えたので、本気で改めなければ、人手にかかって死ぬことになるかも知れない、、、と人にも話していた。
それは肉体の死だけではない。
然し ふと心に浮かんだことは、彼が死に至る数秒もしくは数十秒の間に、何を知ることができたのか、そして何かを伝えたくはなかったのか? という問いかけだった。
一般の人々も含めて、思ってもいない時に突然死を迎える事になってしまった人のことを考えずにはいられない。
美しく豪華な葬送の車に乗ってしまう事になった安倍氏。私はこの人を尊敬していない。 だが狙撃された直後から、私の脳内では 御文章白骨の ”朝には紅顔ありて、夕には白骨となる、、” 聖書 “今日ありて、明日は炉に投入れられる花、、”
という二つの言葉がゆるゆると流れ出して、今も心の深みから時折顔を出す。
(但し私の場合はそれらの言葉がそれぞれの宗教的な解決に向かうことは絶対ない。中途までの勝手活用であります。)
哀しくもなく、惜しくもなく、ただひたすらに虚しい。
今回の事態と比べたり、結び付けたりはむつかしいのですが、、、。
私は二年前に、信じられない初歩的な医療ミスで、心臓が三度も止まり、まさに
死を迎える羽目となったのです。この時 局所麻酔だったので、私は起こったことの殆ど全てを記憶できました。
医師やスタッフが大声で慌てふためく様子、モニターで見る死にゆく自分の指標。
予定の検査がそのまま治療に移行して、時間も数倍かかった医療行為。
(おまけにその後かかりつけ医への返信には不都合な真実の記載は一切なく、当時の状況を少し伝えただけで、私は噓つきの呆け扱いをされ続けています。)
死にゆく私が、何の誤魔化しもなく真実を伝えられるのに、全てが終わってドアがあけられ、最悪の予想と、蜘蛛の糸程の望みをかけて、数時間身じろぎもせずに待っていた家族の前には、ストレッチャーの上の死んだ私が、在るんです。
( 少しでも変化があれば直ちに伝えると事前に約束しながら、何一つ知らされず。)医師は”力を尽くしましたが、、。”と頭を下げるだけ。
どうして死に至ったかを充分説明する用意をしていたのに、死んでしまった私には果たせず、家族は永遠に疑問を抱えることになるのです。
命が繋がった時、自分の死を冷酷に見つめ続けた自分にも呆れましたが、今までもこれからも、数多の人々が無言で去っていかねばならない事実を前にして、全ての
医療従事者に、切に願いたいことが定まりました。
1 恐れる事なく、私利私欲を捨て、関係者に一切の真実を伝えて欲しい。
それを信条として守り抜く決意のある人だけに、その職について欲しい。
2 患者や家族と許しあえる関係を構築して欲しい。
私は二年前の苛酷な体験で、人生観が変わりました。
普通の人に寄り添う風を強く見せながら、肝心要をはずしてしまう安倍夫妻を心底残念な思いで拝見していた私ですが、晋三氏には今何の思いも起こりません。
不思議です。御文章白骨の詞を真に美しいとさえ感じています。
私は 死後、魂、地獄、極楽、天国、、などは死を恐れる人間の頭脳が創り出したと考えているので、一切信じません。でも生きている限りこの人物の終焉について、
考え続けることでしょう。
美しい日本!と叫んで田畑や谷あいを太陽光発電で黒々と埋め尽くした人は、
死せる指導者として、物となって、何も言わず、何も言えず、何も分からず、
美しい葬列を組まれていました。
私は、ちょっと泣きました。