私の人生のお話
〜同じような人の少しでも味方になれば〜
私の過去は友達には全てを話したことはない。
私のこれまでのことを残しもう二度と同じような
思いをする人がいないことを願いたい。
私は三兄弟の真ん中として生まれた。
父は大手企業で働いていてそこそこ稼ぎがあり、
母は専業主婦だった。
私が7歳までは仲いい家族だと思っていた。
私が小1後半から母は、他所の男と会うようになった。オンラインで知り合った人。
小2に上がってすぐ、愛知に転校することが決まった。父には内緒で。
この時は、不倫という言葉も知らなかったし、
ただついていくだけだった。
愛知に着いて、暫くホテルを転々とする日が続いた。
車で移動中
偶然私たちを探しに愛知に来ていた父と祖母の車が
すれ違った。
父達は小学校の転出先を調べて愛知に来てたらしい。
コメダ珈琲で話し合うことになり合流した。
その時、母は子供が聞こえるところで
「子供は育てられません。いらないです。」
と言った。
私は何が起こってるのか分からなかったが、兄が泣いてるのを見て状況が理解できた。
私は泣きながら新幹線で東京に帰った。
母に捨てられた。
あの笑顔、優しさは嘘だったのか。
私が悪い子だからなの?
それからしばらくは祖母の家に住むようになった。
祖母は、何とか母を東京に引き戻し、精神科に入院させることにした。
ただ、ある日
母はその病院から抜け出した。愛知に行ったのだ。
もう帰っては来なかった。
その日は泣いて泣いて泣いた。
人生で一番泣いた。
それから色々あり、祖母の家からは離れ、家族4人で住むことになった。
兄は、精神的におかしくなってしまい発作を起こしては暴れるを繰り返していた。
妹は3歳だったのでまだ何も出来ない。
その環境で私は、
迷惑をかけてはいけない
いい子にしないとまた捨てられてしまう
と、思った。
それからは、周りと比べてはほかの家庭を妬んだ。
家に帰ればご飯がある、褒められる、相談できる。
すべてが羨ましかった。
時が経ち、20歳になった。
母が生きている連絡が取れていると兄から言われた。
そして新しい家庭を持っていると。
兄と一緒に会いに行くことになった。
道中、不安でいっぱいだった。
会った途端、涙が止まらなかった。
なんで泣いているのか分からなかった。
一緒にご飯を食べ、当たり障りない事を話した。
私は、1点心の片隅に思うことがあった。
(あの時の謝罪は、、、?)
母は家事育児全般を父に押し付けられて精神的に疲弊してたことは20歳になってから知った。
私の心は15年前で止まったまま。
母と過ごした約7年は黒く塗りつぶされたまま。
育ててもらったことには感謝してる。
しかし、絶対に許さない。
人を信用できなくなったし、
自分の気持ちを塞ぎ込んで鬱病にもなった。
自分の行動で人の人生を狂わす事ができる。
誰だって、人を傷つけられる。
平気なように見せかけることは出来る。
しかし
心の傷は完全に治すことはできない。
この経験から大きな壁にぶち当たっても、
あの時の傷より軽い。
と、思えるようになった。
これだけは伝えたい。
求めてるのは褒めの言葉ではない。
共感でもアドバイスでもない。
包み込んでくれる愛だ。
