またやってしまった。

欲しかったわけでもないのに、大泉洋のエッセイなんて買ってしまった。

『ビブリア古書堂の事件手帖』4巻も
『ガソリン生活』伊坂幸太郎著も
読み終わってないのに・・・

新刊コーナーに平積みされていたのを手に取ってしまったのが間違いである。
完全なる見切り発車である。


これはDVDを借りにいく場面でも同様である。
「あれ観てーなー」と思い立って意気揚々と某レンタルビデオ店に探しにいくとする。

新作コーナーから準新作コーナーを颯爽と抜けたためしが無い。
「お!?」「むむっ!」「面白そうじゃなーい」
などとやっているうちに本来観たかった映画とは全く違う類の映画を3本ほど借りて
ニヤニヤしながら家路につくのである。

the・B型である。
こういった時は自分のなかのA型血液は姿を現さない。
くずです。すいません。


こういったことが自分のことだけで済めばいいが、他人を巻き込むと途端に性質が悪くなる。

先日の嫁からのメール。
「サラダ油がもう無いから帰りに買ってきてー」
おつかい、である。

帰り道、某大型スーパーに寄って帰ることにした。

本来、この場合、調味料コーナーに一直線であるが、
自分の血はそれを許してはくれないのである。

生鮮野菜コーナー→鮮魚コーナー→精肉コーナー→ドリンクコーナー→お菓子コーナーetc・・・
ひとしきり無駄な買い物(その時点で自分にその自覚はない)をして
やっとこさ辿り着いた調味料コーナーで嫁に電話する。

「あれ?醤油って切れそうじゃなかったっけ?」

はい。怒られますよねー。そーですよねー。

おかげ様で我が家の台所にはキッコー〇ンの醤油が3本も御座います。




この文章もまた然り、である。
年に1~2回更新の当ブログ。
本来の話題は忘却の彼方。
この駄文もホテルニュートーキョーの『Ebony and Ivory』と嫁の小言を交互に聴きながら更新しております。

夏も終わりますなー。
皆様、気温の変化で体調にお気をつけてどうぞ。
帰郷してから夜空を見上げる回数が増えた。
別に何かを探すでもなく。ただ「月が赤いなー」だとか「星がいつもよりクリアに見えるな」とかそんなことを思って眺めている。
昼間は枕詞に「あっついねー」って漏れちゃうくらい暑いせいもあるが、日が落ちると実家周辺の片田舎は過ごしやすい。
明かりが少ないから目が慣れるまで庭先の石の上で煙草に火を点ける。
カエルの鳴き声に混じって秋の虫の声。夏ももう終わりに近づいている。
暗闇に目が慣れてきた頃に見上げた空には無数の瞬き。
「ペルセウス流星群、見逃しちゃったな」「明日かまた仕事かー」などと考えながら吐き出す煙が思いのほか不味くて煙草の火を落とす。
家の中に戻ると西瓜が出てくる。

せわしない日常の中で見失ってた何か、大切だとか大切じゃないとか関係なく、が確かにそこにはあると感じた。
元の生活スタイルに戻ってしまえば見えなくなったり、気付き難くなるんだろうけど、きっとここに帰ってくれば思い出せるんだろうなー。

だからもう少しだけ
もう少しだけ
こども達を寝かしつけてたら、一緒に眠ってしまっていたので未だに眠りにつけずにこんな時間。久し振りにくそポンコツノートPCを立ち上げてネトサ。尋常じゃないぐらいレスポンスが悪くてげんなりしつつ、思い付くままにサーフしてたら、昔仲の良かったブロガーさんのブログに漂着。長い間更新された様子もなく、彼女(当時は女子高生だったけ)の現在に想いを馳せたりする。

最近、「もし自分がまだ結婚もせず、子供もいなかったとしたら、今頃何をしていただろうか?」って想像してみた。酒片手にフェスにいっているだろうか?大好きな音楽を追及してレビューのひとつでも書いているだろうか?
人生は偶然の積み重ねである。たくさんの後悔があり、綺麗な想い出は美化されて、より一層輝きを増す。それらは現在からしてみれば毒のようでもあるけど、やっぱり現在の自分を作ったパーツのひとつひとつでもある。それを受け入れるのか、「あの時こうしていれば…」と否定するのか。


終わりと始まりはいつも表裏一体。
大人はやっぱり大嫌いだよ。
おやすみなさい。



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