【悲しくても笑う、ということ】その2
わたしがFBを始めたのは、東日本大震災のショックで、文章が書けなくなったので、リハビリのつもりだった。SNSはいろんな人が見る。わたしのことを知らない人も、って言うか、ほとんど知らない人ばっかり友達になっていた。知らない人と他愛ないおしゃべりをするのが楽しかった。 § でもいろんな人がいるから、面倒くさいものでもある。失礼な人、議論ふっかけてくる人、やたら期待する人もいるし、先生や親みたいに、自分の尺度を押しつける人も面倒(^^;)面倒くささを避けるために、無意識に自分を作る。 § それは普通のことだよね。プライバシーの問題もあるし(^◇^;)ウソってほどではないけど、本当でもない「作られた自分」を誰でも持っていると思う。 § それから当たり障りのない、他愛ないおしゃべりって、マイナス感情に当たることは表現しない。だからかなり多くの人が、特にFBでは「悲しくても笑う」もう1人の自分の顔で投稿コメントしてると思う。 その「悲しくても笑って生きる」人は、ネットを離れた日常的にはお馴染みの人だから、「作られた自分」であることに、ほとんど気づかないよね。そしてその人は立ってもいられない辛いときを、笑顔で乗り越えてきた人だから、強くて魅力的なの。 § わたしはもともと物書きだし、「強くて魅力的な人」のことは知っていたから混同しなかったけど、あまりにも自然に「悲しくても笑って生きる人」が、ネットに無自覚に溢れていることには、正直びっくりした。 § それが悪いってことじゃないよ。危ないのはこの強くて魅力的な人が、日常の中で、「わたし、ステキな人なのに、あまり認められてない~」と思っていること。その人がSNSで不特定多数の友達から「いいね!」をたくさんもらって、特技を活かして経済的にも自立し始めたら、いったいどんなことが起こるのか???to be continued......