姉さん、事件です
何と私、この度料理のコミュニティに入りました。
この私が、です。
料理など、二度とするものかと思っていた生粋の料理嫌いの私が、みんなと一緒に「自炊」という名の料理活動をするグループに入ってしまいまして、自分が一番驚いています。
現時点で400人強のメンバーが参加しているグループなのですが、そこでレシピを頂いて、ライブ配信などを参考にしながら、みんなで料理をしていくのですが、ついに私の人生に「料理」というものが再び訪れようとは、思ってもいませんでした。
そもそも私は、「料理」という単語を聞いただけで、回れ右をしてしまうほどの料理嫌い。
その理由は、子供時代にあります。
そのトラウマが始まったのは、忘れもしない3歳の時。
ある日、母親から「今日から料理をやってもらうからね。」と言われたのです。
もちろん最初は母親のお手伝いとして、その工程のいくつかの中から、子供でも出来そうなものを手伝うという、比較的ゆるい作業から始まったのですが、
年齢を重ねるごとに家族全員分の食事を作る担当になり、その負担は日に日に増え、何で好きでもないのに料理なんてしなければいけないんだという不満が、どんどん積み重なっていったのです。
料理が楽しくなかった理由は、それが全て「義務」だったから。
最初に料理をやるように言われた時、「やりたくない」と言ったら、「じゃあもうあなたはウチの子じゃないから出て行きなさい」と言われて、家からあっという間に締め出されました。
当時、若干3歳。
「どうしよう。嫌だと言ったらお母さんに捨てられる。嫌でもやらなければこの家に置いてもらえない。」
私の料理の始まりは、親から捨てられないための、自分の命を繋ぐための義務からスタートしていたのです。
(当然ながら、我が家では料理だけではなく、家庭における全ての出来事が義務だったので、トラウマになっているのは料理だけではありません。笑)
嫌だ。料理なんかやりたくない。
これは言葉を変えれば、お母さんの言う事なんて聞きたくない。
言われたことを黙って従いたくない。
マニピュレーターである母親に、ただ服従するだけの人生なんて嫌だ。
そういう心の叫びでもあるのです。
しかし、母親が一度ルールとして決めたことは、我が家では絶対なので、従うしかありません。
それから来る日も来る日も、家族全員分の食事を作る日々が始まりました。
両親、祖父母、子供2人の計6人分です。
そして、うちの両親は基本的にパリピで、宴会やパーティーが大好きな人たちだったので、週末になると両親の友達が我が家にたくさん遊びにきていました。
土日はほぼ毎週、座敷の部屋で宴会が行われ、
石原軍団の炊き出しか!!
と思わずツッコミたくなる量の料理を作るわけです。
友達と遊びたい、自分の好きな事をやりたい、宿題をやりたい、本を読みたい、テレビを見たい。
そういう個人的な欲は、持ち出した時点で半殺しにされます(笑)
いいからやれ、お前に人権なんかないんだ。
支配と服従の世界というのは、常にこれなんです。
私の意志は?
私の気持ちなんて、一度たりとも聞いてくれたことがない。
こうして、私の中で「料理=奴隷の仕事」という図式が出来上がったのです。
なので、18歳で実家を出て以来、料理をすると奴隷時代のトラウマが呼び起こされ、PTSDに極めて近い症状が出るようになりました。
なんと、キッチンに立つだけで涙が出てくるのです。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
この発作とでも言うべき辛い感情は、今の年齢になるまで消えることはありませんでした。
戸塚ヨットスクールや日生学園で教育を受けた一部の生徒が、未だに重いPTSDを患っているというのと同じ話です。
それくらいマニピュレーターというのは悪質なんです。
私は20代の頃、奇跡的に主婦だった時代があるのですが、結婚して一番の課題がこの料理でした。
どうしても台所に立てない。
事情を話すと、旦那さんはすぐに理解してくれました。
「別に無理に作らなくてもいいよ。俺も料理は全く出来ないから、毎日外食だって構わないよ。」と。
いや、普通のサラリーマン家庭で、それはそれで経済的に困るのですが(笑)、でも私が料理をしなくてもいいように、うまく環境を作ってくれたのです。
そうしてこれまで、一人暮らしの自分のご飯も含めて、キッチンという場所になるべく近づかないようにしながら生きてきたわけですが、今回人生43年目にして、そのトラウマが克服できるかもしれません。
というか、克服したい。
実はそう思えるようになった背景には色々な理由があるのですが、それもある意味、過酷な試練を乗り越えた先の長いストーリーがあったりするので、それはまた別の機会に裏側の心理は詳しく書こうと思っています。
で、ここからは余談ですが、料理が嫌いとはいえ、実はそんな私が毎日のように台所に立っていた時期があります。
東洋医学を学んでいた時です。
いわゆる「食養」と呼ばれるジャンルになるのですが、断食道場で丁稚奉公をやっていた時期に食養を学び、体が治る食事というのを毎日作っていたことがあります。
そして今でも、これだけは不思議と作りたくなるのです。
それは何故か。
食養のご飯というのは、基本的に薬という考え方なので、「私は科学者として薬を作っている」という感覚で台所に立っていたからです(笑)
美味しいとか見た目とかは関係なく、体が治ればいいのです。
そして私は、元々科学者志望だったので、こういう実験的な料理なら好きなんです。
陰性の食品が調理をするごとに中庸になり、さらに火を通すと陽性になるみたいなやつ。
あとは、本気で体質改善をしないと、体が弱すぎて死んでしまうという危機的な状況でもあったので、積極的に学び作っていたのだと思います。
東城百合子さんとか、若杉友子さんの本とかバイブルでしたよね(笑)
今はとてもあの生活は出来ませんけど。
なので、薬的な治る食事なら喜んで作るけど、家庭料理は一生やる事はない(もう二度と奴隷時代を思い出すのは嫌だから)という強烈なトラウマをようやく手放せそうなので、今後は自宅で料理をする機会が増えるかもしれません。
しかし、ここまで書いて思いましたが、
やりたくない事を(無理に)やらされた
この怒りや恨みというのは、相当なものだなと改めて思いますね。
普段はこういう思いって、抑圧して触れないようにしているので、表に上がってくることはまずないのですが、実はその人の思考や人格の土台として、かなり人生に影響を与えてるんですよね。
「嫌だ」ということを言えずに飲み込んで、仕方なく受け入れて何かをやっている時に抑圧した感情って、人格と認知を極限まで歪ませますから。
だから、毒親問題って連鎖するわけです。
うちの母親だって、子供時代は一切の自由がなく、欲しい物も買ってもらえず、学校から帰ってきたら問答無用で家の手伝いと兄弟の子守をさせられていた。
子供が家の手伝いをするのは当たり前。
どれだけ幼くても、大人と同じ仕事をするのが当たり前。
母親が是とする教育もわからなくはないし、ある程度の厳しさや我慢は必要ですが、問題は本人が納得していないことを、強制的に親という立場を利用して、支配という形でやらせるのが問題なんです。
「従わなかったら、捨てるぞ。」という脅しまで使って。
ちなみに、全く同じ環境で育ち、奴隷の料理番と化していた弟にも「普段料理する?」と聞いてみましたが、
「やるわけないやん。実家にいた18年間でもう一生分やったわ。」と答えが返ってきました(笑)
me too.
冗談抜きに、あの毎週末の炊き出し行事で、一生分やったと私も思いますわ。