親の理想を背負って生きた子供の悲しい末路 | まいすとれーじ

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資料置き場

毎日、世の中の96%の人には理解されないある思考を、一人で淡々と繰り返している。

そうして導き出した結論も、残り4%の仲間だと思っていた人たちには、結局理解されない。


一体何のゲームなんだろうこれは、と思い続ける日々。


結局、ずっと極地にいた人間が辿り着く思考は常識とはかけ離れたものであり、

でもその中に揺るぎない真理を見ているからこそ、むしろ簡単にわかってたまるかという気持ちもある。


別に何を選んでも、何を手にしても、何を諦めてもいいけど、神様が必要として与えてくれた機能に逆らった生き方は、決して幸福とは言えないと思う。

その中でも欲は本当に大切なもの。


思考で納得させて、本来の欲をなかった事にするのは、死ぬ前に一番後悔する気がする。

神様が機能として人間につけてくれたものは、すべて間違いはない。


健全な欲は、幸せに生きるために必要なもの。

ここが腑に落ちていると、諦めるとか回避するとか代替するとかが、いかに無意味かわかる。


以前カウンセリングを受けていた時、先生が「僕は自分の子を、心理学の本や哲学書に縋ってしまうような子供には絶対に育てない。

親がちゃんとベースを整えてあげれば、その子はそのままの自分で楽しく生きていける。心の問題で人生の大半を費やしてしまうような子になったら、僕は悲しい。」

そう言っていた。


これを聞いて、その場にいた全員が泣きそうになった。

(だからこそ、あの先生は厳しかった。目を覚ませ。本気で自分を変えるんだ。さもないと、取り返しがつかなくなるぞと、何度も言っていた。)


難しい本と向き合い、自分と対話しながら、答えを探し続ける人生。

しかし、その答えというのは、結局親からの見えない足枷を外す作業なのだと、いずれ気付いて絶望する。


生きるとは何なのか、幸福とは何なのか、自分の人生は一体何なのか。

そんな事を考えているうちに、羽目を外して遊ぶことも、恋愛をすることも、新しい何かにチャレンジすることも難しい年齢になる。


親の理想を背負って生きた子供の悲しい末路。


しかしそれは試練ではなく、単に生き方を間違えただけ。

どれだけ勉強しようが、努力してレベルの高い人生を積み上げようが、一向に心は満たされない。


それは本当の自分が求めていることとは違うことを、自分の魂は知っているから。