彼が車に揺られてたどり着く先はそれ程悪い場所だとも思えないのだが、それは彼以外の第三者の意見であって、彼はそこで過ごす時間を苦痛に感じている。
その場所では数十人が軽作業を行っているのだが、そこで彼は孤立している。
彼が孤立する原因は明らかで、本人も自身の問題行動を世話係から何度も指摘され、自覚もできている。
分かってはいるのだが「どうにも、しょうがない」彼の弁である。

彼の我儘気ままは幼少の頃から培われ、初老を迎える現在に至る。
彼にしてみれば今更それは我儘だから直せだの、気ままを言うななどと言われたところで、「分かっていてもどうしょうもない」のである。
少々学習能力が人より劣っていたとしても、彼は理解できたことに関しては人並み以上に努力もするし、それなりの結果も出してきたのだが、こればかりは「どうにもならない」のであった。

頭の一部で理解できていたとしても、もう一人の自分が頭の大部分を占拠してしまう一瞬がある。
その一瞬彼の頭の中は、ブラックアウトする。
と言うより、レットアウトの方が表現として適切かも知れない。
その一瞬彼の全神経は、脳の何処か一か所に集約される。
普段主の思いをあまり素直に聞き入れず、好き勝手に行動する彼の神経だが、ここぞとばかりに意志を一つにする。
彼にしてみれば、何もこんなことに・・・・。
できうるなら、好物のハマチの刺身やミートボールを箸でつまむ時に、或はつまんだ好物を口に運ぶ時に上手く機能してくれれば良いのに・・・・である。

彼の神経は、彼の意志をもわが物とする。
そうして彼の意志は思いを遂げんと、攻撃態勢に入る。
獲物はその時々で変わるが、だいたい似たり寄ったりで想像はつく。
たいていはか弱い草食獣で、リスクを負う狩りを彼は好まない。
車椅子で獲物へ突進していき、普段はあまり思い通りに動かないはずの両手を使い、あっという間に獲物のたてがみをつかみ引きずり倒し、餓えた肉食獣のように総入れ歯でかぶりつく。

獲物が手が届かぬ場所へ避難したとき、彼は一瞬で進化をとげ猿のように飛び道具を使う。
身の回りにあり尚且つ彼が片手で握れる物を、獲物へ投げつける。
幸か不幸か、彼の左手から投げ出される物体が標的に命中することはまずない。
むしろ標的にされた獲物は幸いで、その近くにいる者はいち早く危険を察知し避難する必要に迫られる。
身の回りに投擲に都合がいい物が無いとき、彼は最終兵器を使用する。
彼にとって最終兵器の使用は、多少のためらいが生じるのだが・・・・。
それはほんの一瞬のことで、彼の理性が自分勝手な彼の怒りに勝ことは、滅多にない。

一瞬のためらいの後、まず彼は自身の上あごに左手をやる。
そうして不自由な親指と一指し指で金具をつかみ、総入れ歯を外し獲物に投げつける。
左の糸切り歯の場所に取り付けられた金具を起点に、入れ歯は反時計回りに回転しながら獲物の左側をかすめていく。
だから対象物の左は、特に要注意となる。
歯茎の色を模したピンク色と人工的な象牙色が、回転しながら飛沫を撒き散らす。
その後獲物の左後方に、ぬめりをもった物体が転がっているのを見るとぞっとする。

目撃者の反応は様々で、大きな目と口を開けたまま閉じることを忘れる人。
恐怖を覚え、その場から立ち去ろうとする者。
軽蔑の目で見据える者。
はたまた大口を開け馬鹿笑いする者、これは少数派である。
彼はその後数日は、後悔の念に駆られ苦しむことになるのだが・・・・・・・・。