長年のテーマのひとつとして、「自分の名前が嫌い」というものがあった。

 

苗字も全然かわいくないし。

下の名前も、クラスに一人はいる、平凡な名前。

 

どちらも自分にしっくり来ていなくて、早く名前を変えたかった。

(これが結婚願望のつまらない理由のひとつだった)

 

実はこの感覚は、多くの人が持っているものらしい。

 

香港に暮らし始めたとき、人々がいとも簡単に名前を変えることに驚いた。

本名とは別の、生活用ニックネームのようなものを、みんな自分でつけるのだ。

 

ある人はチェリーだし、ある人はエンジェル。ある人はヒューマン。

それはもう、自由なのだ。

 

かくして結婚とは別の理由で、自分の名前を変える権利?を得た私は、

お気に入りのニックネームを手に入れた。

 

そこから数年後の今年、日本に戻り、新しい生き方のチャレンジをし始めたことで、

「なんて呼ばれたい?」と、新しく出会う人々から聞かれることになった。

 

思いもよらず、もう一度、名前を変える機会が手に入った。

(いや、本当はいつだって、何回だって変えて良いのだけどw)

 

どうしようかな・・・と考えたあげく、新しいコミュニティでは、本名の下の名前で

呼んでもらうことにした。

 

自分の名前を受け入れることが、自分にとっては、必要なプロセスだと感じたのだ。

 

 

しばらくしてから、インターナルファミリーシステムズという、セラピーを受けた。

自分の中にある多様な人格ひとつひとつを認め、普段なかったことにされている「その声」を

丁寧に聞き取っていく。そんな対話のプロセス。

 

ずーっと探っていくと、こんな声が聞こえることに気が付いた。

 

「本当は、男の子が欲しかった」

 

誰の声なのか、分からない。父親なのか、親戚なのか、世間の声なのか。

 

高齢出産の母親が、二人目の女の子として産んだ私は、「本当は男の子であるべきだった」

という、とんでもなく大きな罪悪感を抱えてこの世に生まれてきたのだった。

 

じっさい、お腹の中でよく動いたので、両親はすっかり男の子だと思い込んでいたらしい。

名前も男の子用に準備をしていた。

 

そんな経緯とあいまって、生まれてすぐに呼吸が困難だった私は、

保育器につながれて、入院することになったそうだ。

 

それで、通常よりも検討の猶予なく、なかば慌てて名前を付ける必要がでてきた。

それで、出てきた名前が今の本名だったそうだ。

 

その時代の女の子にありがちな名前をもらった私は、

両親に、「やっぱり女の子で良かった」と言わせんがばかり、何にせよ、

男勝りに頑張るように生きてきたのだった。

 

これが、私がずっと感じていた「自分の名前が嫌い」の根っこだったと思う。

 

お疲れ様、これまでの自分。

 

今は、自分の名前が結構好きだ。

上の名前も、悪くないけど、下の名前のほうが好き。

 

自分にとって大切な人は、「そのままでいいよ」と言ってくれる人は、

いつも下の名前で呼んでくれるから。

 

この名前の由来の話。

私にはうっすらと記憶があったけど、

「本当は男の子が欲しかったの?」と両親に聞くのは、とても怖くて、

このクリスマスにようやく聞くことができた。

 

両親にとっては、名前よりも、生まれてすぐに入院したという事態が、一大事だったようだ。

私のいのちが繋がって、元気でいま生きていれば、性別も名前も、どちらでも良かったみたい。

 

こんなつまらないようなことでも、人生のテーマになる。

ひとつひとつ、ほどいていかないと、ときに前には進めない。