まず退屈すぎて最後まで読み通すことができなかったことを打ち明けておく。読んでいて苦痛だった。

登場人物の視点を通して文章が書かれていないことが、作品にいろいろ悪影響を与えている。人物がどんなキャラクターか表現できない、人物がどんな目でほかの人物を見ているのか伝わってこない…等々。そのため作品が平面的というか奥行きがない。

作者の視点で説明しているようではだめである。

ちなみに同人誌では視点をひとつにしろと教えられるそうだ。読者がついていけなくなるからだそうだ。登場人物の視点を通して文章を書けないなら、ひとつでもふたつでも変わらないよ(笑)。

一応俎上に載せたからにはもう一度読んでみようとは思うけどね。まあ読んだところで…。
私が読んだ暗在のいくつかの詩は全て同じ手法で書かれているが、過不足がない作品で、書き慣れた印象を受ける。直喩を中核に持つ作品だが、むしろ直喩に還元されない表現にこそ魅力があると言っておきたい。

ちなみに、老婆心ながら暗在に一言忠告しておきたい。ノベルスワールドという文芸サイトで作品を発表しているようだが、発表の場は選んだほうが良い。

頻度はかなり低いがレトリックが用いられており、詩と呼んでも良い作品かもしれないと思いながら、前半読み進んだ。が、斜に構えたような語り口というか、すかした語り口が、後半の社会風刺と繋がると途端に陳腐なものに堕してしまうのはいただけない。

大丘忍がノベルスワールド掲示板「創作談義」に、私もんぶの文章に対し、以下のとおり書き込んでいる。長ったらしいが一部引用する。



 素人がいくら小説を書いたところで、一文の金になる訳ではない。小説を書くのが好きだから、あるいは小説を書きたいから書いているのである。したがって、素人の小説にケチをつけようとすればいくらでもつけることが出来る。そのケチをつけるのが「もんぶのブログ」の目的のようだ。

 私は、「ノベルスワールド」のような、素人小説発表サイトで発表した小説は、下手でも構わないと思っている。素人だから、下手なのは当然で、読むほうもそれを承知で読んでいるはずだ。
 中には、仲良し倶楽部のように褒めあうのは自己満足に過ぎないと非難する人があるかもしれない。
 プロの小説家を目指している同人雑誌などでは、このような主張がなされて当然だと思う。しかし。「ノベルスワールド」は、プロを目指していない、ただ小説を書くのが好きだから書いて発表している作家も大勢いるのである。
 感想をもらえれば嬉しいし、面白かったと褒められれば更に嬉しい。具体的に、書き方の間違い、例えば文章のねじれや、手垢の着いた比喩、視点のぶれなどの指摘は、参考になるだろう。
 素人の評価ではなく、プロの評価が知りたければ文学賞に応募してみればよい。私は、文学賞で一次選考を通過するということは、少なくともある程度は評価されたことを示すと思っている。
 私や、昔からの小説仲間が北日本文学賞に応募しているのはこの為である。

大丘 忍 2011/08/22 18:01



ご覧のとおり、大丘忍の頭の中では「素人」と「プロ」が区別されていることが分かる。素人とは何なのか、プロとは何なのかは分からないが、大丘にとっては重要な区別のようだ。


大丘の区別に従って、大丘に対してこう言うことができるだろう。大丘ごとき素人の小説をプロは評価しない、と。大丘ごとき素人がプロに評価してもらおうなんて厚かましい、と。


実際、文学賞に応募したくらいでプロの評価を知ることはできない。最終選考に残った作品でさえ、怪しいものである。知ることができるのは、せいぜい選考を通過したかどうか、その結果だけである。


どこかで誰かが言っていたが、なぜ「じゅん文学」や「ノベルスワールド」には、北日本文学賞にしつこく応募する者がいるのだろう。「小説を書くのが好きだから、あるいは小説を書きたいから書いている」のなら、プロの評価を知る必要などないはずである。


あいかわらず説明と会話だけの作品で、読んでいて退屈だった。


内容を見ると、とても不可解である。なぜ西岡は頼まれていもいないのに「私」の再婚の世話をするのか。なぜ岡西は「私」と幸代の再婚を急がせるのか。なぜ岡西らは賭けゴルフで「私」を勝たせたのか。幸代は金目当てで再婚するわけではないようである。

まるで金で幸代をもらってくれと言っているようなものである。そうだとすると、一体どうして?


これらの状況に疑問を抱かない「私」とはどんな人物だろう。自分をもてる男だとでも思っているのだろうか。とんだ勘違いである。医者という立場にありながら賭けゴルフをしているのもすごい。

ノベルスワールドの掲示板でまだ何やら続いているとお知らせをいただいた。橋本恵一という人物が掲示板で相変わらず某氏を攻撃しているそうである。


また掲示板の管理人は、自分たちの作品を少しでも批判する投稿があるとすぐ削除するのに、某氏を中傷する投稿は放置したままにしているそうである。


常識を弁えない人間がいるものだ。一体どんな教育を受けてきたのか。


そんななか新たな話題を提供している人物がいる。大丘忍である。この人物、どういうわけか突然IQについて語りだした。物知りだと自慢したいのだろうか。しかし、IQに関する知識は間違いだらけである。一部引用する。


IQは、知能年齢を肉体年齢で割った指数です。10歳の子供が15歳の知能年齢を有していた場合に、その子供のIQは150となります。IQは90から110までが普通で、120以上は非常に優秀と成ります。従ってIQ140とか150と言えば、天才的に優秀とランクされます。
知能年齢は子供の頃は、直線的に増加しますが20歳をすぎると頭打ちします。従って、IQで推測できる知能は、思春期の子供までであって、大人には適用できません。
私は現在、78歳ですから、いまIQを調べると60かそれ以下でしょう。
4192「 IQ 」大丘 忍 2011/07/04 16:41


大丘は医者のはずだからIQの知識がないはずがない。なのにこのデタラメはなんだろうか。本当に医者なんだろうか。そんな疑問を吹き飛ばすように、自分のIQは「60かそれ以下」と告白する大丘。どうりで。


大丘作品が貧しいのはそんなところに原因があるのか。少し作品を批判されたくらいで意思疎通が難しくなるのはそんなところに原因があるのか。納得。


これからも大丘はIQ60以下の文章を披露してくれるのだろうか。

大丘忍、元千晶、橋本恵一、光郷輝紀(H・T)ら掲示板の住人はなぜ某氏を槍玉に挙げたのか? 某氏は創作から完全に離れているらしいが、なぜよりによってそんな某氏がターゲットにされたのか? なぜ某氏本人が登場したら大丘は弁解に終始したのか?


掲示板で住人らが繰り返し言うのは、同人誌を追われた腹いせに本ブログで作品を批判している、腹いせにノベルスワールドなどの掲示板で荒らし行為をしているというものだ。


また、ある人からのお知らせで大丘ら住人が頻繁にハンドルネームを変えて書き込みをしているのが分かった。住人それぞれに役割があるようだ。


住人たちは自分たちの作品が批判されると、腹いせに批判しているだけで、批判するほうが間違いだと片付けたいのだろう。住人たちは示し合わせたように批判をあしらうわけである。それだけ自分たちの作品に自信が持てないのだろう(たしかに自信を持たないほうが良い人たちである)。


しかし批判をあしらうにも、同人誌は少人数で、同人誌間で繋がりがあるので、人間模様が知られていて都合が悪い。どうしても腹いせに自分たちの作品を批判していることにしたいので、同人誌と関係を絶っている某氏が都合が良かったのだろう。住人たちからしたら、同人誌と関係を絶っている人間なら誰でも良かったし、某氏が「犯人」だとは実は思っていないのである。


某氏本人の耳に入って住人たちがやっていることがばれてしまったのは、予想外だったのだろう。大丘のお粗末な弁解には不覚にも笑ってしまった。

ある人からお知らせを頂いた。私・もんぶが同人誌を追われた腹いせに本ブログで悪口を書いたり、ノベルスワールドなど複数の掲示板で荒らし行為をしているとの噂が流れているが、心当たりはあるかという内容であった。念のため断っておくが事実無根である。


また、掲示板の住人の大丘忍、元千晶、橋本恵一、光郷輝紀らはその人物の正体を把握しており、彼らはその人物を相手によってたかって非難しているそうである。念のため断っておくが、私・もんぶはその人物とは別人である。


しかし、ここにきて進展があったようだ。掲示板の住人が「犯人」と決め付けていた本人の耳にも入ったようである。その人物をここでは某氏としておくが、某氏が掲示板に登場したのである。迷惑な某氏の登場で大丘ら住人もさぞや言いたいことがあるだろうと思ったら、なんということでしょう、大丘は掲示板「談話室」でひたすら弁解に終始しているではないか。


これは一体どういうことだ? 掲示板の二人のやりとりを見ると、まるで大丘は某氏が「犯人」ではないと予め知っていたかのようである。ではなぜ、某氏が槍玉に挙がったのか。真相はむしろ逆で、大丘ら住人が某氏を目の敵にしていたのではないのか。そんな気がしてならないが、真相や如何に?


光郷輝紀が「じゅん文学」掲示板で自作を解説していた。あれ? いつのまに新作を発表したのだろうと思ったら、「殺し屋」の解説だった。まず、作品と自作解説のギャップに驚いた。


この作品には「電子メディアと近代的主体の崩壊」というテーマが込められているそうな。


「電子メディアなどのメディアテクノロジーによる情報速度・量の上昇・増大が主体(人間)の情報処理能力の閾値を超えた場合、なんらかの主体(人間)の崩壊が生じる」のだそうである。


作中登場する電子メディアといえば、まずブログが目に付く。たった一つのブログに翻弄されたくらいで、「情報速度・量の上昇・増大」って(笑)。大袈裟だなあ。


「情報速度・量の上昇・増大」とは、ネット全体のことを言っているのか。作中次に目に付くのは、「完全な電子メディアの監視システム」なるものだ。あれ? 情報を監視できるのに「主体(人間)の崩壊」って(笑)。情報を監視できるなら問題ないだろ。


何を言ってるんだ、輝くん?


ノベルスワールドの掲示板で(たぶん)評者のブログに対する不満が噴出しているそうである。しかしこれまで、直接批判や抗議が寄せられたことが一度もないから、不思議である。


自分の小説を少しばかり批判されたくらいで不満を感じるのは、小説を書いたり、投稿したり発表したりすることに適性がないからだろう。誰も君に小説を書いてほしいとは頼んではいない。


自分の小説への批判が受け入れがたいのは、確かに自然な反応ではある。褒められたら嬉しいだろう。しかし、褒められて嬉しいからといってその指摘が当たっているとは限らないし、批判が受け入れられないからといってその指摘が外れているとは限らない。


批判されたから拒絶するのは簡単である。褒められたから受け入れるのも簡単である。問題はそれを乗り越えられるかであるが、もっと簡単なことがある。創作するのをやめることである。誰も引き止めたりはしない。


適性がないのに小説を書いている人たちが読者に求めていることは、自分の小説への批評ではなく、作者の気持ちを察し作者の予想通りのコメントをする友達の作法だろう。