1月13日

こんばんは、turtle neckです!

 

今回は、いつもとは違うテイストの

記事なので、少しだけ、

投稿時間を遅めにしました。

 

(嘘です。ただ眠れなくて暇なだけです。)

 

今回は、支配ということについて

私が考えていることを

書いていこうと思います。

 

それにからめての被支配ですね。

 

まずは、簡潔に意見を述べるとすれば、

私は他人から支配されている

そんな状態は好きではありません。

理論的な説明は抜きにして

嫌いということですね。

 

皆さんも同じではないですか?

例えば、中学校の頃、

先生でも自分の親でも構いません。

押し付けるような言い方で言ってくると、

少しでも反抗心を抱いたことは

誰にでもある経験なのではないでしょうか。

 

ちなみに私は

一般的な人とは少し違った物の見方を

していると思っているので

反抗心を抱くことも

多くあります。

 

しかし、今回言いたいのは、

そういった類の話ではありません。

 

今回のブログでは、

「支配されること」にどれぐらい敏感か?

ということについて考えます。

 

善いことなのか、悪いことなのか

は別にしても、遥か昔から

人間の中に支配という考えはありますよね。

 

壮大な話ではなくて、

ここで言う支配というのは

リーダーがいて

それに従う人々がいる

という構造です。

 

そんな構造であれば、

縄文時代や弥生時代にも

あったと予想できます。

 

なにか、出来ないのでしょうか。

それは、支配の必要性も

理解しているつもりですが、

 

ただ、今の日本をとっても

選挙で衆・参議院議員を決定し

そこで決まったリーダーに

政治を行わせる。

 

これって、たとえば

「うぬ、リーダーなどいらぬぞ」

って考え方が国民の大多数の意見でも

リーダーが生まれてしまう

変な制度だと思うんですよね。

 

今の社会なんか、

まさに、そんな考え方が多いのではないでしょうか。

選挙なんて、行かない。

そんな人いますよね。

 

 

すいません、ちょっと

ブログを書いていたら

頭が回らなくなってきました。

そりゃ、午前の4時前ですもんね。

 

というわけで、

今回は問題提起ぐらいで

終わっておきます。

(終わらせてください。(´;ω;`))

 

また、後にでも

変なテンションの時に

こんな話題を取り上げるので

レアな機会を見逃さないように

皆さんぜひ読者登録を

よろしくお願いします。

 

最近、いいねをもらえるようになって

少し、上機嫌な私でした!

 

それでは、次回もお楽しみに!