南フランスから持ち込まれたごく短いチュニック

南フランスから持ち込まれたごく短いチュニック

南フランスから持ち込まれたごく短いチュニック

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南フランスから持ち込まれたというごく短いチュニックが流行する。


その後おそらく東方から持ち込まれたブリオーという広く大きな袖とぴったりした胴部をもつ長いチュニックが流行する。


騎士たちは争って髪を伸ばし鏝を当て、男女の違いは長い裾の下に隠れたズボン(ブレー)を見なければ、ほとんどわからなくなった。


貴婦人たちはあでやかなブリオーの裾を長く伸ばすことに熱中し、ボタンで取り付けできる引き裾が発明された。



しかし、ブリオーの時代は長くは続かず、続いてコットという体にぴったりした服が流行する。


これは肘から手首までをボタンで留める長くぴったりした袖を持ち、脇をひも締めする、やはり丈の長いチュニックだった。


さらにシュールコーという上着を重ねたが、もともと鎧の上に着る衣装から生まれたこれらの衣服には戦場での見分けのために紋章がついていた。



紋章という柄とはっきりした色による装飾の流行に飽き足らず、左右の靴下の色を赤と緑にしたり、衣装を真ん中から青と赤にしたりといった、ミ・パルティ(片身変り)という二色で体を分割するファッションが流行する。


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