どうも~ご無沙汰しております

皆様お元気でしょうか

コメントやペタはするものの、自身のブログ更新を疎かにしていました…
今日は東京マラソンでしたね

ほんっま、毎年天気に恵まれなかったけども、ようやく素晴らしい天気になりましたね

石原都知事も息子の完走にはご満悦でしたね

きょも一時「やったるで~

」
と気合を入れ、東京マラソンに向けて走りこみをしていたものの、さまざまな誘惑に負け…
エントリーはしていたものの、落選…
ここだけの話ですが、内心「ホッ…」としてしまいました…
来年こそは

…

さて今日は、【親父】というタイトルですが、
このキーワードからは色々と連想されると思います。
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きょの親父は73歳。元気過ぎなくらい。
今はお袋の田舎で自然を囲み、趣味など楽しんでいるよです。
定年前は旅行会社の勤務していました。
きょは幼い頃から親父の転勤に振り回されるのですが、姉きはもっと振り回されたらく、昔っから
不仲の関係でした。
正直、きょも好きではなかったな…
社会人になって、自立した頃から、親しみを持つようになったかな。
それからは、正月休みやGWなんかは、家族で温泉旅行はよく行ったっけなぁ…
もともと親父は京都の人間で、3人兄弟(兄・親父・妹)の真ん中。
じいちゃんは戦争で他界し、ばあちゃん一人で戦後の大変な中、育てたわけなんですね。
そんなばあちゃんも3年前の12月31日に天国へと旅立ちました。
99歳…
年末年始はホンマ、仕事も忙しかったので記憶に残る1ページでしたね。
ばあちゃんが家族に残した1冊の本…ばあちゃんの歴史が綴ってありました。
尊敬します。
親父の兄貴はまたええ加減な人で、いつもトラブルメーカーでした。
よって、葬儀では、親父が喪主をしたんですが、勉強になりました。
段取りや立ち居振る舞い。
そして、
きょが生まれて一度も見た事がなかった親父の涙…
「私が死んだら、遺灰を少し淀川に流してほしい…
太平洋へと流れ、彼と再会できるでしょう…」
ばあちゃんの遺言でした。
ロマンチックですね。
戦争は、新婚間もない二人を離れ離れにさせ、二度と再会することもなく…
ただ、神様から授かった命が三つ。
小学校の用務員という仕事をいただき、狭い用務員室を寝床に3人の子供を育て、
貧しいながらも、なんとか高校まで行かせた苦労。
戦後、ばあちゃんに届いたのは木箱に入った、じいちゃんの1枚の写真のみ…
恋い焦がれた、長い長い年月が終わり、天国でやっと、手をにぎれる思い…
知らず知らず溢れた出した親父のその涙には、深い意味を感じました。
ここから、親父に対し尊敬の確信をしました。
遅っ

何せきょも人間出来てないんで

今はたまに電話をしてますが(未だに照れくさいんやけどね…)
読者の方にもさまざまな家庭環境があるでしょう。
今【親父】の人。これから【親父】になる人。
自分にとって社会の【親父】。人生の【親父】。
【親父】はいた方がいい。
きょが結婚して子供ができたら、【尊敬】される親父になりたいもんです

流れた曲は、きょの好きな、【ルーサー・バンドロス】からの~

実質、ラストアルバムとなった、【DANCE WITH MY FATHER】からの~


【DANCE WITH MY FATHER】でした

とっても、心に響き、あったかい気持ちになります
