いつの間にか2年が過ぎた、と思う自分と
やっと2年なのか、と思う自分。
術後、いろいろ辛かったけど、何が一番辛かったかと言えば排尿障害。毎日トイレで悔し泣きしてたこと、昨日のことのように思い出す。
術後の追加治療は早々と決まっていたものの、排尿コントロールがなかなかできず、主治医の先生は気長に待ってくれた。少し時間はかかっても、必ず善くなると知っていたんだと思う。
でも、術後2週間しても、ちっとも改善されず、毎日毎日トイレで自尿を軽量カップで計り、看護士さんを呼んで導尿してもらう日々に本当に気が狂いそうだった。
けど、病院によっては早々と自己導尿を指導して退院!ってところもあることを知り、一番話しやすい看護士さんに自分で導尿できるようになりたいとお願いしてみた。
そしたら看護士長さんが直々に病室まで来てくれた。
「トイレの度に看護士を呼ぶことに気を遣ってない?忙しいのに手を煩わせて悪いとか思ってない?」
図星だった。
導尿されるのが恥ずかしいとかは思わなかった。でも、早い人なら一週間もしないうちに排尿訓練を卒業していくのに、出来の悪い私なんかのために1日に何回も時間を割いて導尿してもらうことに物凄い申し訳なさと、情けなさがあった。そして、いつになったら自尿が出るのかという不安と焦り。
私の気持ちを理解してくれた看護士長さんは、自己導尿を覚えても、上手く出来ないときは遠慮なく看護士を呼んで導尿してもらうこと!我慢はしないこと!と言う条件でドクターに聞いてみるねと言ってくれた。
ちょうど主治医が夏休みでいなかったので代わりの先生が導尿指導のオッケーを出してくれて、早速練習が始まった。
そして、一週間後、主治医が夏休みから帰って来て、私が自己導尿をしていることを知り、ちょっと困った顔をしてた。主治医の方針として?自己導尿なしでも自尿は出るようになると言う自信があったのか?とにかく、自己導尿を始めるのが早すぎると言われた。
でも、私は自己導尿を覚えてからは自信がついた。万が一、この先一生自尿が出なくても、きちんと清潔に自己導尿ができれば、誰にも迷惑かけずに生きていける!と。多くても1日5~6回の導尿、慣れればどうってことない。外出時にちょっとキレイなトイレを探すのは大変かも知れないけど、それなりに便利な道具で工夫すればなんとかなる!と。
結局、術後1ヶ月以上過ぎてから、ようやく追加の放射線治療とウィークリーの抗がん剤治療が始まった。
そして、放射線の副作用の宿酔と下痢に泣き、食欲はどんどん落ちて、体重は7キロ減、身長169センチで46キロになっていた。
相変わらず自尿は出ないわ、体調は悪いわ、放射線のせいで尿道炎になり自己導尿もままならず、またまた看護士さんの手を煩わせていた。
2年前のあの頃は生きた心地はしなかった。
先のことなんて何も考えられなかった。
放射線治療が20回目の頃、入院から2ヶ月が過ぎていた。体力は最低レベル、精神的にもおかしくなりそう、笑顔の作り方も忘れていた。それまでずっと個室にいたのが、重症患者さんが入院して来るとのことで、急に部屋を替わることになり、4人部屋へ引っ越し。
引っ越しした2日目、とうとう感情の糸がプツンと切れた。
31歳の大人が人目もはばからずわんわん泣いた。あと5回の放射線治療はもういやだ!いるかいないか分からない癌を叩くためならもうしなくていい、十分だ!!
子供みたいにわんわん泣く私を見て、毎日お見舞いに来てくれていた母も泣いていた。
…あぁー、辛いのは私だけじゃないのに
…ごめん、お母さん。
「もういや、退院するー!(iДi)」と泣きわめく私を、主治医の先生はしょんぼりした顔でしばらく見ていた。
「もういやかぁ…でもねぇ…せっかくここまでやったのに、途中で止めたら効果ないよぉ~(´_`。)もう少しだから、ねっ、ねっ?下痢が辛いなら下痢止めも飲んで、治療が終われば下痢はおさまってくるから。」
主治医は、私が下痢が嫌で大泣きしてると思ってた。
…確かに、それもあるけど…(-""""-;)
入院生活が長引き、積もり積もったストレスが突然爆発した2年前。
昨日のことのように覚えてる…早く忘れたい(ノ_-。)
おかげさまで、今ではちゃんと自尿が出てます。あの頃は主治医のいない間に勝手に導尿指導を受けてすみませんでした(・∀・)