その1 理解のためのガイダンス

2016年春から本格的に見始めてまる四年、2018年の220本をピークに、500本を超える作品に触れてきた。文学座を中心とした老舗新劇劇団、世間の耳目を集める大規模公演、小劇場作品と、対象は幅広い。2017年頃から書き始めた観劇日記（ameblo「新宿信濃町観劇部日記」）を読み返し、そこで発信してきた問題意識に対して現在の物差しを用いて改めて修正を施した。演劇という総合芸術に対する深いリスペクトを持ついちファンとして、演劇界ないし演劇人に求めるメッセージを残しておこうと思ったからだ。

１．レアリスムからの脱却~わかったフリ~理解のためのガイダンス　2017年11月の問題意識

観劇初心者の頃、終演後、いや上演中でも「この作品は何がいいたいのだろう」「他の人たちは、本当にわかっているのだろうか」という疑念が浮かぶことが多かった。どうもわかっていないのではないか、考えて一定の結論に達したとしても「何かわかったような気がする」と思い込む、或いはわかったフリをしているのかもしれないとも考えた。今の自分は少なくともわかったフリはしないが、観始めた頃は、わからないということを表に出す勇気を持ち合わせていなかった。「わからないのは自分だけかもしれない」と。

2017年9月に上村聡史が演出した文学座アトリエの会、三好十郎「冒した者」の公演情報で「自身にしては珍しくシュールレアリスムの手法を用いた」という三好十郎の言葉があった。シュールレアリスムという言葉を知識としては知っていたが、それが何なのかわかっていた訳では全くない。ただ、その言葉をきっかけに、俄然知的好奇心が湧き上がった。正直なところ、何か知的なイメージがあったからだ。

私自身は物心がついてから何十年も、振り返れば左脳的アプローチでレアリスムに生きていたと思う。そのためにはそれなりのロジックが必要だし、ロジカルシンキングは好きだった。その私が50も半ば以上過ぎて、ロジックが通用しないシュールレアリスムという世界に初めてはまったのだ。子供の頃に読んだ本はファンタジーよりも歴史ものが好きだった。何かを夢想する少年ではなかったように思う。もちろん、ファンタジー好きの子供は当時だって今だってたくさんいて、そういう人なら、例えば渋澤龍彦の世界でも、「川を渡る夏」の渡辺えりの世界でも自然と受け入れる事ができるのだろうけど。

澁澤龍彦と言えば、プロジェクトニクス公演「犬狼都市-キュノポリス」の冒頭のとある言葉でシュールレアリスムについて腹に落ちる経験をした。川を渡る夏も、違うカンパニーで複数回観る事で、ロジックを封印して観る術を覚えるきっかけになった。

シュールレアリスムを理解するのは簡単ではない。特に左脳系には。でもどんな芸術作品であれ、作者の意図に近づくことができれば楽しみは深くなる。「わかった気になる」。

「絵を見る技術-名画の構造を読み解く」という本がベストセラーになっている。有名な作品が展示される展覧会で美術館は大賑わいになるが、本当にみんな楽しんでいるのだろうか。私にはわからない。でもそのベストセラーを書いた秋田麻早子先生の本を読み、講義を何度も聞くうちに、苦手意識を持っていた絵画に対しても「わかった気になる」レベルに近づいてきた。そうか、みんなわかっていた訳じゃないなんだ、と。演劇だってそうかもしれない。

芸術作品に満点はないのだと思う。作品を世に出した人の思いは、特にその人のナマの声を聴けない場合は、本当に理解できているかなんかわからない。その本質を知って、劇場や美術館等に行っている人はどこまでいるのだろう。専門家が高く評価しているから？　人気があるから？　

新宿梁山泊で体験した唐十郎の世界。理解しようとするな、感じろ。その意味すらわからなかったが、ひょんなことからあれは唐さんが体験した時代のことを考えれば、それを理解することは難しくとも感じることはできるかもしれない、と思ったこともあった。

若い時に観ていない分、夢想に必要な要素は引き出しにしまわれていた。人生において趣味に資源配分できる時期が来て、そのときに過去の資産がものをいう。それだけに人生経験の浅い若い演劇人が、難しい戯曲を読み合わせの過程を経て頭で理解し腹に落とし、血肉としたうえで作品に仕立て上げる、その想像力たるや途方もない才能だと。

その才能のない一般人はまずはわかったフリをする。ハードルを自分で勝手に下げる。それによって、本当はもっと深いのに、それに触れることはない。もったいない。

本来エンタメ的要素もあるはずの演劇だが、未経験者には敷居が高いのかもしれない。そんな中で「わかったような気がする」レベルまで、観客を引き上げる努力がなされているだろうか。演劇人が客席に寄り添ってくれているだろうか。当日パンフレット（業界では「当パン」と言っているらしい）やHPでの解説、SNSやアフタートーク、感想集、ネタバレにならない程度のweb情報、これらを丹念に拾うと理解の一助となる材料は実は結構準備されている。いや、確かにそうなのだが、そこまで拾う人は少数でマニアック。初心者ではそこまでできないし、やらない。

「わかったフリ」「わかったような気がする」と「腹に落ちる」の間には結構距離がある。それを埋めてくれるのは私の場合は上記材料に加え、終演後の関係者との会話にあった。私自身その会話に何度助けられたかわからない。

問題はその材料が少ない、或いは全くないケースだ。答えはない。そうかもしれない。受け止める人それぞれだから。それもわかる。終演後話しかけたくても「話しかけないで！」オーラが出ていたり、「〇〇と感じたのですが、どうでしょうか？」「どうとっていただいてもお客様の自由ですから」といった冷たい反応もあったり。何等かのガイダンスを求めているのだが….。

発信してしまえばそれで終わりではないはず。受け止める側がどう理解したかをどこまで確認しているのだろうか。確実に「わかっていない」観客は存在する。もしそういう観客が多数だったら、作品を提供する側はどう感じるのだろう。受信側の興味に関心のないのは発信側の傲慢とも言えないか。懇意にしている演出家の生田みゆきが過去の文学座通信で「今、この作品を、たとえ多くの人でなくと誰かに届けなくてはならないと、勝手な使命感のようなものに駆られる。作品の上演を通じて誰かと何かを共有したい、議論したい」と書いていて、私は彼女のこのようなスタンスに強く賛同したい。

演劇は一期一会の要素があるから、私自身は発信側の意図を出来る限り掴みたいと思う。すぐに掴めない場合でも時間をかけて掘ろうとする。そうすると「わからない」→「わかったふり」をしていたのが、「わかった気になる」。その変化が面白い。「なるほど！そうだったか、そう来たか」と膝を打つような脳内体験という刺激、これこそが知的娯楽の醍醐味だと思う。一回観て単に「面白かった」で済ませると作品は消費されて心に残らない。もう一度観たくなって観ると二度目、そして三度目で新たな発見がある。すると消費されず心に残る。作品が心に残るためには、作品自体が秀逸であることは必要条件だが、その理解が進むことが十分条件であるように思う。

「鼻」のアフタートークで「芝居は解説を聞くものではないのですが」と渡辺徹が別役実作品の関連で語ったことを思い出す。そう。こと細かに「答え」を用意していただく必要はないし答えをすぐに知ってしまっても面白くない。そのアフタートークで渡辺徹が話してくれたのは不条理劇に関する「理解のためのガイダンス」だった。ただ、残念ながらここ数年で500近い作品に触れて、理解のガイダンスにつなげようと丁寧に用意されていたものはどれほどもなかった。結局自分で探しにいくしかなかったのが実態だ。

私が劇場に足繁く通うようになったきっかけは5年前の三越劇場の文学座本公演「女の一生」だ。それまでも年に何度か観劇の機会はあったものの、ここまでの名作に触れたのは初めてだった。観終えた後の充実感は相当なものだったが、機会があって終演後に「ふみ」役の松山愛佳から詳しく話を聞くことができた。これはまさしく「理解のためのガイダンス」で、初見では気づかない作品の深みに対するヒントに溢れていた。90分ほども話を聞いただろうか、私は既にもう一回観る気に溢れていた。二回目に全く違った楽しみ方ができた私はラッキーだったと思う。一般の観客はこういった体験をすることはまずない。その後劇場に足を運んで思ったことは、確かにあの三越劇場とプライベートアフタートークはレアな体験であって、自分で待っていても「理解のためのガイダンス」を得られることはないということだった。

2016年前半の何度かの観劇では、今でも心に残るような作品に出合うことはなかった。いや、それは作品のせいではなく自分自身のアプローチに問題があったからだと思う。まさに観劇後に「わかった気になる」いや「わかったフリをする」ことで自分なりに消化して満足したつもりになっていたのだと思う。別の言葉で表現すると「感性とロジックが交差せず分離したまま」の状態を放置していた、ということかもしれない。

そこで「書く」ことを始めた。観劇日記を書くことで「感性から得たものを言語化する」、すなわち感性とロジックを重ね合わせる試み。そして書き始める前に「仮説と検証」のプロセスを入れた。それによって、全てではないにしても、それなりに一つひとつの作品の総括ができるようになり、加えて、舞台美術や照明、音響、衣装といったスタッフワークの作品への効果にも関心が及ぶようになった。4年前の4月、イプセンの野鴨を稲葉賀恵が演出し、先日亡くなった坂口芳貞も出演していた作品を文学座アトリエで観たのだが、今思い起こせば全く理解できていなかった。それだけに当時と比べて観る力が備わった今、改めて観る機会が欲しいなと思う（坂口さん追悼シリーズで、「大空の虹を見ると私の心は踊る」とともにアーカイブ上演してもらえないだろうか…）。

自分がそうだから他人もそうだとは思わない。でも作品への理解を観客側の努力だけに求めてしまっていないだろうか。作品を提供する側が、自らの意図する方向に誘導することは褒められたものではないが、「どうとっていただこうとお客様の自由ですから」というスタンスの著名な演出家がいたが、どれだけ世間の評価が高くとも、発信主義の誹りを免れないように個人的には思う。観客側がさらに理解を深め、楽しめるようなヒント、材料が上演に付随してくれば、イチ観客からリピーターへ、そしてより消費をしてくれる顧客に繋がっていくようにも思える。充実したアフタートークはその一例だが、話された中身の概要を後日配信する工夫を考えてもらえれば、そこから何か理解のためのガイダンスをつかむことができるかもしれない（聞きたいアフタートークの日に観劇予定を入れれるとは限らないからだ）。グダグダの身内話を聞きたいとは思わない。やはり作品に関するディスカッションが聞きたいと私は思う。

幸い、終焉後の時間等で関係者から「理解のためのガイダンス」を得ることができるようになった私は、それにより作品の魅力に取り憑かれ、リピーターとなり、顧客となった。私が演劇にはまったわけ、その最も大きなポイントは、ガイダンスを提供してくれる関係者の存在である。

1ー補足

そんな事を書いてきて、たった今は下北沢のシアター711でシンクロ少女の「Better Call Shoujo」の上演前。当日パンフレットが入っているフライヤーの束の中に、静岡SPAC宮城聰と青年団平田オリザの対談の記事が入っていて、何気にこんな発言が目に止まった。

「演劇ってインテリとか意識高い人とか、あるいはもっと言えば経済的に恵まれている人とか、そういう人達にとっての娯楽なんだという先入観。この壁がものすごく厚い。これ、僕は東京では全く想像できなかったんですよね」と宮城氏は静岡と東京を対比していた。東京は「一番敷居の低い、無産階級の芸術だって感じ」だと。

そういう見方なんだ、と驚いた。私は東京でも「意識高い系」向けだと思っていた。まあ確かにこれだけ作品が上演されているから、敷居が高くないものも多数あるのだが。

例えば2017年12月にこんな文章を書いた。少し編集した。

『「真の意味における精神の娯楽を舞台を通じて知的大衆に提供する」という文学座の創立宣言プリンシプル。80年前と現代では娯楽のバリエーションが違うが、それでも知的大衆に定義される人ならば、何が本質的「精神の娯楽」なのかということに関する問題意識は十分持ち得ているはずだ。残念ながら、その思いは多数の「知的大衆」或いはその予備軍になかなか届いていない。いや、果たして現代に知的大衆なるものがどの程度存在しているのだろうか。80年前と比べて知性の水準は確実に落ちているようにも思えてならない。

私の場合、40代の働き盛りの頃は、精神の娯楽にカネと時間を回す余裕がなかったし、そういった同世代が多かった。一方で定年が近づいてきて、ゴルフ以外に何か趣味と言うものがあったっけと愕然となる50代、そんな記事を目にする事もある。幸い、私の場合は50代半ばにして観劇という趣味の素晴らしさに気づき、精神の充実という果実を得た。ゴルフもテニスも封印しスポーツ観戦の回数を大幅に減らした。ただ、それを同世代の友人たちに共感してもらう事は簡単ではない。』

↑ この見方が外れているとは今でも思えない。文学座を例にとったが、知的大衆を対象と考えている劇団は多数あると思う。なかなか解釈が容易でなく「理解の為のガイダンス」が必要と思える、そういった劇団の作品にこれまでも何度となく出会って来た。もちろん確かにそんなガイダンスがなくても敷居が低く理解し易い作品も多数ある。それが「無産階級の芸術」かどうかはさておき。ではそれが「長く語り継がれる」作品かといえば必ずしもそうではなく、「一度観て消化する」タイプのものが多いようにも思える。

さて「理解のためのガイダンス」はこの程度にしておこう。その流れで「その２」は演劇界の顧客対応、その３は演劇界のエコノミクスとリスクマネジメント、といった観点から書いてみたいと考えている。

＃演劇

私にとっての演劇 その1

私にとっての演劇　その1