Noah(21) | 「HEROINE」著者遥伸也のブログ ~ファンタジーな日々~

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声に引き寄せられ、舞子は玄関に顔を出した。

そして滝沢を施設に上げ、応接室に通すと、神父を呼んだ。

神父は何事かと訝りながら、応接室に入っていった。

舞子は様子が気になり、お茶を入れて二人に運ぶと、そのついでに会話に耳を傾けた。


「実は大変なことが起きましてね」


頭を掻きながら滝沢はそう言うと、震える手で一通の封書を神父に差し出した。

神父はそれを受け取ると、中から手紙と一枚の小切手を取り出した。

そして小切手を見るや否や、「ええっ」と驚いて声を上げた。

それは額面が二億円の保証小切手だったのだ。

手紙を広げて見ると、こうしたためてあった。


「このお金を聖園養護院の新築工事に役立ててください。 足長にいちゃんより」


「足長にいちゃん? 一体誰なんだ?」


神父は首を傾げて言った。


「さあ。今日郵送されてきたんですが、差出人名が書いてないんですよ。ただ困ったことに、大手の建設業者にも藤堂グループから圧力がかかっていて、今度の工事はどこも受けないだろうし、市としましても、計画は完全に打ち切りになってますしね。今更こんな寄付金を貰っても困るんですよね。かと言って、この施設のために贈られた寄付金を他に流用する訳にはいかないし。だからあなたに直接手渡して、そちらで自由に、工事の手配とか段取りをお任せした方がいいと思いましてね。分かるでしょう? 我々も、この一件には関わりたくないのですよ」


「は、はあ」


神父の小切手を掴む手は、さっきから震えが止まらずにいた。


「まあ、とにかくそれはあなたにお預けしますから、そちらで有効にお使いください。じゃあ、私はこれで」


滝沢はそう言うと、そそくさと逃げるように帰っていった。


「足長にいちゃん?」


舞子も手紙をそっと手に取って、見つめながら呟いた。


「舞子さん。世の中、まだまだ捨てたもんじゃないですよ。まだこんな奇特な方がおられたんですからね。神に感謝せねば」


そう言うと、神父は右手で十字を切って祈った。


「にいちゃん? まさか」


舞子の脳裏に、ふといつか会った、矢野圭二と名乗る男の顔が浮かんだ。


「舞子さん、心当たりがあるのですか?」

「い、いえ。何でもありません」


舞子は一笑に付して誤魔化すと、再び仕事場に戻り、作業を再開した。

しかし黙々と彫刻刀で樹を削り続けているうちに、やがて矢野圭二のことが気になり始め、次第に仕事がはかどらなくなってきた。

ついに手を休めると、舞子は床に寝転がって、ぼんやりと天井を眺めながら考えた。

自分の思い過ごしかもしれないが、もう一度確かめてみる必要はありそうだ。

確か彼は、市立大学で早瀬教授の助手をしていると言っていた。

行方不明だと聞かされた兄の名も矢野圭二である。

本当にただの偶然の一致だろうか?

もし本当の兄だったら、この世でかけがえのない、たった一人の血のつながった家族である。

もしかしたら祖母が書き残した「真実」についても、何か知っているかもしれない。

舞子ははっと起き上がると、作業中は外して床に置いてある腕時計を、そっと手に取って腕にはめると、時間を見た。

すると針は午後六時を回っていた。

物思いに耽っているうちに、良介が公園で待っていると告げた、約束の時間が過ぎていた。

舞子は戸惑いながら、何気に窓から外を眺めた。

外はぴゅうぴゅうと、木枯らしが吹き荒れていた。

そう言えば、今朝テレビで天気予報を見た時予報士が、今夜は寒波が襲来して、かなりの冷え込みになると言っていた。

舞子は良介が気の毒だと思い、一瞬会いにいこうかと心が傾いたが、やはり思い直してとどまることにした。

良介には良介の幸せがある。

自分のためにそれを犠牲にさせてはならない。

そう何度も自分に言い聞かせると、熱い気持ちをぐっと堪え、作業を再開するため、彫刻刀を手にした。

どうせ一時間も待って、自分が来なければ、彼も諦めて帰るだろう。

このままでいいのだ。このままでー

すると、周囲はいつしか漆黒の闇に閉ざされていた。

食事に誘いにきた真理子が、教室の明かりを灯した時、舞子は自分が暗がりの中で、ずっと呆然としていたことに、初めて気づいたのだった。

翌日の朝―

誰かが、玄関のドアを何度も激しく叩く音が響き渡り、騒々しさのあまり、舞子は目を覚ました。

そして舞子と神父が玄関まで駆けつけ、慌ててドアを開けると、驚いたことにあの矢野圭二が、男を背負って立ちつくしていた。


「あ、あなたは確か、大学の……一体どうしたのです?」


神父が仰天して尋ねると、矢野はよっこらせと、男を床に下ろした。


「今朝通りかかったら、この人が緑道公園で倒れていたんです。意識がないし、かなり熱があったので、とりあえずここへ運ぶことにしたんです」


よく見ると、床に転がっているのは、良介だった。

                           (つづく)

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