Noah(20) | 「HEROINE」著者遥伸也のブログ ~ファンタジーな日々~

Noah(20)

施設の様子を監視していた国武は、舞子がボストンバッグを提げて俯きながら出ていくのを見かけると、急いで後をつけた。

何かが起きた。

それは間違いなさそうだった。

そして、それからどれくらい歩いただろうか。

気がつくと、いつしか舞子は、駅前の繁華街にさしかかろうとしていた。

すると繁華街の入口に、古びたビジネスホテルが一軒建っていた。

舞子はおぼつかない足取りで、そのホテルの玄関の前まで歩いていくと立ち止まり、深いため息を吐いた。

どうやら、そこへ泊ろうか否か、躊躇しているようだった。

国武はいたたまれず、つい側まで近寄り、声をかけようとした。

その時だった。


「舞ちゃん、舞ちゃん」


背後から、舞子を呼ぶ、子供たちの声が響いてきたので、国武は慌ててすぐ側にあった路地裏へと、身を潜めた。

すると子供たちが、わーっと声を上げながら、舞子の背後へと駆け寄っていった。

舞子は驚いて、手からボストンバッグを落とし、そっと後を振り返った。

すると子供たちの先頭に立っていた琢己が、べそをかきながら言った。


「舞ちゃん、行くな。行かないでくれ」


そして、その後ろにいた真理子も「行っちゃいやだ」とだだをこねた。

すると皆も後に続き、一様に「そうだ、そうだ。行っちゃいやだ」

とべそをかき始めた。

舞子はそれを見て、寂しそうに笑うと皆に呼び掛けた。


「皆、ありがとう。でもね。私がいたら、新しい施設ができなくなっちゃうんだよ。私を恨んでいる人がいてね。その人が、嫌がらせをしようとして、工事をやめさせちゃったの。だけど私は、皆に絶対に幸せになって欲しいの。だからお願い。行かせて。その方がいいのよ。分かって」


すると琢己は、首を横に振って言った。


「僕たちはあの時の、舞ちゃんの瞳を信じているんだ。そして今、舞ちゃんのことが必要なんだよ。舞ちゃんがいなくちゃ、僕たちは幸せになんかなれないんだ。僕たちのことを本当に幸せにしたいんだったら、ずっとずっと僕たちのお姉さんでいてくれよ。舞ちゃんに恨みを持つ奴なんて、きっと悪い奴に決まっている。そんな奴の力を借りて、新しい施設が建てられても、僕たちはちっとも嬉しくなんかないよ。なあ、皆」


琢己が呼び掛けると、皆一様に「そうだよ、そうだよ」と頷いた。

すると舞子の瞳から、涙が溢れ出た。

それを見て、皆は舞子を取り囲み、腰や手を引っ張って連れ戻そうとした。


「皆、ありがとう。私って幸せ者ね……」
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子供たちが、いつまで経っても手を放そうとしないので、舞子はとうとう諦めて、そのまま子供たちに導かれるままに、施設の方角へと引き返していったー


国武は陰からその様子を眺めながら思った。

これは自分に対する、藤堂からの挑戦だと。

藤堂は、自分の力に屈しない者はとことん追い詰め、なぶり者にする執念深い男だ。

このまま、終わらせはしないだろう。

必ず施設を目の敵にし、何かを仕掛けてくるに違いない。

藤堂はその時決心した。

舞子たちはこの俺が守る。

たとえ、自分の命に代えてもー



翌日、舞子の元に、良介から電話が掛ってきた。

舞子はもう良介のことはきっぱり忘れようと思っていたので、そっけない態度で応じた。


「舞子、元気かい?」


「ええ。何か用?」


「ああ。実は会って話がしたいんだ。すごく大切な話なんだ。時間を作ってくれないだろうか? お願いだから」


大切な話って?」


舞子はつい興奮して、声を弾ませた。


「ここでは話せない。会ってから話すよ」


一瞬、心がときめいたが、舞子はそんな自分を押し殺して答えた。


「お願い。もう私には構わないで。お互いの幸せのためよ。切るわね」


「お、おい待ってくれよ。かおると娘が出ていったんだ。元々、君という人がいることを承知のうえで、あいつは俺との結婚に踏み切った。でもあいつは間違いに気づいた。そして俺もだ。俺には君を幸せにする義務がある。頼む。今日の夕方六時に、君がいる施設の近くにある、緑道公園で待っている。君が来るまで、いつまででも待っている。だから……」


そこまで聞いた後、舞子は無情にも、突然受話器を置いた。

しかし心は大きく揺らいでいた。

刑務所にいた頃は、良介との幸せな日々をずっと夢見続けていた。

そしてその夢が原動力となって、最初は落ち込んでいた自分も、前向きに物事を考えることができるようになった。

その甲斐があって、五年で刑務所を仮出所できたのだ。

そんな、一度は諦めかけた夢が、もしかしたら叶うのかもしれない、絶好のチャンスが訪れたのだ。

しかし今の自分には、どうしてもそれを素直に受け入れることができなかった。

果たしてこれでいいのだろうか?

舞子は悩んだ。

そしてさんざん悩んだ挙句、やはり良介のことは忘れることに決めた。

他人の幸せを踏み台にしてまで、良介と添い遂げるのは間違っている。

たとえ奥さんと子供が出ていったとしてもだ。

舞子は寂しげに一人ほほ笑むと、再び仕事場に戻ろうとした。

と、その時だった。

突然、玄関から声が響いてきた。


「ごめんください。市役所の滝沢です。神父さん、おられますか?」





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                                   *イラスト:眞部ルミ

                          (つづく)