Noah(18)
舞子は来る日も来る日も、黙々と仕事に精を出し、試行錯誤を繰り返しながらも、聖母マリア像をほぼ完成させていた。
後はそれを取り囲んで、楽しそうに乱舞する天使たちの像を仕上げるだけであった。
仕事が終わりに近づくにつれ、子供たちとの別れも迫ってくる。
そう思うと辛くなって、最近舞子は、つい手の動きが鈍ってしまうようになった。
そんな舞子の様子を見て、ある日神父は夕食時に、決心したように頷くと、思い切って彼女に告げた。
「舞子さん。実はお願いがあります。仕事が終わっても、ずっとここに残って子供たちの面倒を見てやってはくれませんか。実はパートのまかないが一人、家庭の事情で辞めたいと申し出ているのです。大して給料は払えませんが、子供たちもそれを強く望んでいます。どうかお願いできませんでしょうか?」
神父の突然の、温かい申し出に、舞子はやや戸惑ったが、快く承諾することに決めた。
その様子を窺っていた子供たちは「やった、やった」と、一斉に歓喜の声を上げた。
「みんな、これからもよろしくね」
舞子が立ち上がってお辞儀をすると、子供たちはぱちぱちと、温かい拍手を送った。
神父はそんな光景を見ながら、満足そうに何回も何回も頷いた。
今まで、表面では明るく振る舞っていても、どこか表情に翳りを見せていた子供たちだったが、今では皆、見違えるように一点の曇りもない、晴れ晴れとした笑顔を全開させていた。
それに施設も、もう少しで新しくなる。
神父はその時、ようやく養護院が理想の姿に生まれ変わろうとしているのを実感し、その喜びを思う存分噛みしめていた。
だがそんな幸福な時は、ほんの束の間に過ぎなかった。
翌日、市役所の福祉課の職員が、突然施設を訪れた。
新しい施設の建築工事のスケジュールについて、打ち合わせに来たのかと思い、神父は丁重な態度で彼を応接室へ通した。
ところが、職員の態度が、妙によそよそしかった。
彼は苦虫を潰したような顔で、やや俯き気味に腰掛けた。
「あのう、なにかあったのですか?」
神父が恐る恐る問い掛けると、職員は重たい口をゆっくりと開いて言った。
「実は、その、残念なお報せなんですがね。工事を中止せざるを得ない状況になってしまったもので……その」
「中止ですと? そ、そんな。なぜなんです?」
あまりに突飛な宣告に、一瞬神父は立ち眩みを起こした。
「当初寄付をして頂くことになっていた民間企業各社が、こぞって寄付の中止を決定したんです」
「そんな馬鹿な話があるものかっ」
神父はついに取り乱して、職員の胸倉をつかみかけたが、慌てて平静を装った。
「まあ、まあ、神父さん。落ち着いてください。解決策はありますから」
「解決策?」
神父は怪訝そうに職員を見つめると、問い返した。
すると職員は、小声で神父に告げた。
「このことは、オフレコでお願いしますよ。どうやら藤堂グループの会長が、企業に圧力をかけたようです」
「と、藤堂グループですと? あの政財界に大きな力を持つと言われる……」
「そうなんです。これは一種の嫌がらせですよ。神父さん、あなた、深沢舞子っていう女を世話してるんですってね」
「ええ。彼女には、この施設で働いてもらうつもりですが」
すると職員は、首を大きく横に振ると、忠告した。
「とんでもない。すぐに彼女を追い出すんです。どうやら、彼女は藤堂グループから目の敵にされてるみたいですからね。彼女がここにいるから、藤堂グループが圧力を掛け、工事を妨害してきたんですよ。新しい施設に住みたかったら、彼女には関わらないほうがいい」
「そ、そんな」
神父はショックのあまり、がくりと肩を落とした。
職員は言いたいことを伝え終えると、さっさと逃げるようにして施設を出ていった。
その後、神父は悩み苦しんだ。
舞子をここから追い出すことなど、とてもできる訳がなかった。
あの子供たちの笑顔を、再び曇らせてはならない。
しかし今の施設は、相当がたがきている。
一体、あと何年持ちこたえられるのかも分からない。
かと言って、企業からの献金がなければ、とても施設の新築などできそうになかった。
しかし神父はさんざん考え抜いた結果、舞子を選択することに決めた。
施設はがたが来ても、修復が必要な都度、皆で力を合わせて対処していけば何とかしのげるだろう。
だが舞子を失って、子供たちの心にぽっかりと空いた穴は、そう簡単に埋めることなどできないだろう。
今子供たちに一番必要なものは、物質的な豊かさではない。
精神的な豊かさなのだ。
それを満たすことができるのは、舞子しかいなかった。
牧師は意を決すると、この悲しい報せを、夕食の時間に食堂で、子供たちに伝えた。
(つづく)