Noah(15) | 「HEROINE」著者遥伸也のブログ ~ファンタジーな日々~

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翌日の晩、国武は港町の駅前にある、「セントラルトラベル」と書かれた看板の前で、進藤八重子の帰りを待った。

すると、待ち合せ時間の八時を十分ほど経過して、ようやく八重子らしき女性が事務所から出てくると、「橋本さんですか?」と国武に声を掛けてきた。

「ああ。お忙しいのにすみませんな。私、私立探偵をしております、橋本浩一と申します」と言って国武は挨拶をすると、偽の名刺を手渡し、「お時間は取らせませんから」と、彼女を近くの喫茶店へ連れていった。

昨日、一か八かで舞子が以前勤めていた旅行代理店へ電話を掛け、客を装って「信頼のおける、勤務歴の一番長い女性に仕事を依頼したい」とだだをこねたら、彼女が電話口に出た。

そして、興信所を名乗り、舞子の祖母の遺産相続の手続きにあたり、ある人物から舞子の素性について調査を依頼されたと偽り、参考に話を聞かせて欲しいと頼んだのだ。

八重子は幸い、舞子と仲が良かったらしく、謝礼をはずむと言ったら、二つ返事で協力すると言った。

喫茶店に入りテーブルに着くと、国武はコーヒーを啜りながら、まずは取りとめのない世間話を仕向けて彼女の緊張を解きほぐし、その後さり気なく舞子の男性関係について、話題を移した。


「ところで参考にお聞きしたいのですが、舞子さんは藤堂さんとは、どこで知り合われたのか御存知ですか?」


すると彼女はこそこそと周囲を窺った後、急に声を潜めて言った。


「もう昔のことだから話してもいいかな? でもこれは公にしないでくださいね。実はね。舞子、事故を起こしちゃったんですよ」


「事故?」


「そう。夜中に軽四で帰宅途中、繁華街を走っていたら、飛び出してきた藤堂さんを跳ねちゃったんですよ。舞子も超過勤務をしてかなり疲れてたし、相手もかなり酔ってたらしくて。舞子は生まれて初めて人を傷つけてしまったと、ひどく落ち込んでしまって、ほぼ毎日、会社を休んでは、藤堂さんの所に見舞いに行ってました」


「なるほど。それで藤堂さんが、献身的な舞子さんに惹かれていったんですな」


「そうなんですよ。それから暫くして、藤堂グループのお偉いさんたちが突然、うちの社長を訪れると、今回の事故については一切不問に付したいから、従業員にくれぐれも他言しないよう徹底して欲しいと、依頼してきたんです。うちは藤堂グループ傘下の大手旅行会社の下請けみたいな会社でしょ? 逆らったら大変だから、朝礼で、社長自らが従業員に呼びかけるほどの徹底ぶりで、私たちも驚いちゃったわ。それであの後、舞子が藤堂さんと婚約したっていうニュースが流れて、それで皆、なるほどって思ったわけなのよ。私たち同僚は、玉の輿に乗った舞子を、羨望の眼差しで見ていたわ。最初の頃はね」


「最初の頃?」


国武が聞き返すと、またしても彼女は周囲をきょろきょろと窺い、「これもオフレコね」と囁くと続けた。


「舞子には、実は良介さんっていう、将来を約束した恋人がいたの。短大の時に知り合ったって言ってたわ。ある日、舞子のお祝いをしようって、同僚で飲み会を開いたんだけど、途中で舞子が、酔って涙を急に流しだしたんで、皆びっくりしたの。その時、舞子は告白したわ。自分は藤堂さんのことを愛してなんかいないって。本当にこんな気持ちのまま、結婚していいのかなってね。あれは言ってみれば、犠牲愛ってやつね」


「犠牲愛?」


「そう。藤堂さんはあの事故で、左足が不自由になってしまった。藤堂さんは舞子に、こう迫ったそうよ。『君が左足になって支えてくれなければ、俺は生きてはいけない。君にできるか? 俺を見殺しにすることが』ってね。これって強要じゃない。舞子の性格だったら、そこまで言われちゃうと、結婚を受け入れるしか方法がなかったんだと思うわ。真実の愛を犠牲にして、他人に捧げる偽りの愛。つまり犠牲愛よ。そうしたら、あんなひどい事件が起きてしまって……一番気の毒だったのは、舞子よ」


「なるほど。で、そのことは警察には?」


「言うわけないでしょ。藤堂グループに不利な証言なんてしたら、こっちがやばくなっちゃうもの。それに警察だって、舞子が素直に自白したし、状況証拠も完璧に揃ってたんで、深く捜査しなかったみたいよ」


国武はそこまで聞くと、今まで頭の中でぼやけていた真相が、徐々に鮮明になっていくのを感じていた。


「犠牲愛か」


窓越しに、無機質な都会の光景をぼんやりと眺めながら、国武は呟いていた。

その後、国武は聖園養護院の側に駐車していたワゴン車にそっと乗り込むと、すぐさま、留守にしていた間、録音状態にしていたボイスレコーダーの再生ボタンを押した。

養護院内の電話に仕掛けた盗聴器で拾った、今日の通話記録を確認するためだ。

そして同時に早送りボタンも押しながら、ノイズがある箇所で音声を止め、一つ一つ会話内容をチェックした。

そうしているうちに、とうとう舞子の会話内容をキャッチした。

そして目論見通り、それは東良介からの電話だった。

国武は耳を澄ませると、その内容に聞き入った。


「舞子? 本当に舞子なんだね? 夢みたいだよ。なぜ、なぜ出てきたんなら、すぐに知らせてくれなかったんだ? 何があったって、君に会いに行ったのに。俺は君のことを幸せにしたい。いや、しなければならないんだ。そう思いながらも、つい目の前にある幸せにすがろうとしてしまって、ずっと、ずっと苦しんできた。舞子、そんな俺のこと、許してはくれないだろうね……」


「良介さん、元気そうでよかった。許すも許さないも、全ては私が決めたことなのよ。私がそうしたかったからしたことなの。良介さんを責める気持ちなんて、さらさらないよ。いい? 私のことなんかもう忘れるのよ。忘れて、あなたはあなたの幸せを掴んでね。でなければ、私がしたことが全て無駄になる。もうここには電話しないでね。さよなら」


「ま、待ってくれ。あんなろくでもない男でも、殺したのは俺なんだ。裁きを受けるべきは俺だったのに。すまない。何度も何度も、警察に自首しようと思いながら、勇気が出なくて。情けない俺を許して……」


そう言って、良介は泣き崩れた。


「聞いて、良介さん。あなたが天の裁きを受ける必要なんかない。あなたは当然のことをしたまでなの。あの時、あなたが助けにきてくれなかったら、私は藤堂に殴り殺されていたのよ。あいつはとんでもない男だった。左足が完治していたのに、わざと不自由な振りをして、私を騙していたのよ。あいつが血の気を失って、ステッキで私を何度も殴ってきた時、私は死を覚悟した。でもそれをあなたが……」


「俺は心に十字架を背負って、このまま生きてはいけない。頼む。君への罪滅ぼしがしたいんだ」


「そんな必要はないのよ。私は本当なら、あの時死んでいた女。それを良介さんのおかげで生かされた。それで十分よ。自分を責めてはいけないわ。いいから忘れるのよ」


「でも、俺は気が動転して、君を置き去りにしてあの場を逃げ去ったんだぞ。そして君が自首したと聞いた時も、怖くなって、君をほったらかしにした。卑怯な男なんだよ、俺は」


するとその時、側から良介の妻らしき女性が、「どうしたの?」と心配そうに問いかける声が微かに聞こえた。

どうやら、良介の異変に気づき、妻が近寄ってきたようだ。

すると舞子は慌てて言った。


「とにかく良介さん。あなたはあなたの幸せを掴んでほしい。それが私の唯一の望みなの。もう電話しないでね。さよなら」


通話は、そこで途切れていた。

国武は、ふーっと溜息を吐くと、ゆっくりとボイスレコーダーの停止ボタンを押した。

そしてぼんやりと考えた。

やはり今回の仕事は、筋が通らない。

真の標的は舞子ではない。

葬られるべきは―


「東良介か?」


国武はそう呟くと、シートの背もたれを倒し、目を閉じた。

しかし、よく考えてみれば、それも違うだろう。

国武の頭は混乱していた。

こんな感情にとらわれるのは、初めてのことだった。

二人とも助けたい。

その時、ふとそう思った。

                                (つづく)

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