えっさっさ、ヨーイ!(17) | 「HEROINE」著者遥伸也のブログ ~ファンタジーな日々~

えっさっさ、ヨーイ!(17)


「HEROINE」著者遥伸也のブログ ~ファンタジーな日々~-えっさっさ17

「先生、俺、本当に愚かなことをしてしまった。心から後悔してるんだ。だから俺は、この処分を、自分への戒めとして、甘んじて受けることにしたよ。当然と言えば当然の報いだからね。それにこれで先生の気が少しでも済むのならいいなと思って、それで報告に来たんだ。先生、本当にごめんなさい」

ちあきはそう言って深々と頭を下げた杉本の手をそっと握った。

そして何度も何度も、首を横に振った。

「もういいのよ、杉本君。それよりわざわざ来てくれてありがとう。おかげで私もようやく、心に区切りをつけられそうよ」

ちあきがそう告げた後、杉本は思い出したように言った。

「あっ、そうそう。肝心なことを言っとかなきゃな。晴仁の奴、見事に志望大学に合格したよ。先生によろしくと言っていた。あいつはシャイだから、今日は来なかった。それで、明日は卒業式なんだ。俺はもう関係ないけど、あいつ先生にぜひ会いに来て欲しいと言ってた。頼むよ、先生。最後にもう一度、学校に行ってやってくれ。あいつにとっては、学校と先生がワンセットで、高校生活最後のいい思い出になってんだ。あいつのために、どうか頼むよ」

「ええ。分かったわ。どうせ私も用事があるから」

「そりゃよかった。絶対だよ。約束だぜ」

「ええ」


その後、杉本は小一時間ほどちあきと雑談に興じた後、帰って行った。その両肩を落とした後姿は、さすがに寂しげだった。その姿を見つめながら、ちあきはつくづく思った。結局、報われた者は誰一人いなかったのだと。

ちあきはその時、今まで邪念に曇らされて見えていなかった物が、ようやく見えてきたような気がした。

確かに晴仁を立ち直らせることはできた。しかしその原動力となったのは、紛れもなく、杉本への復讐心だった。

そして結果として、杉本は敗れ、こうして罰を受けた。それは最初、心の奥底で望んでいた結果ではあった。しかしそれは明らかに間違っていた。

晴仁にしても、戦いに勝つには勝ったが、果たしてそれで報われたと言えるのだろうか? 彼が真に求めていた物が、自分からの愛情だったとしたら、結局、何も報われなかったと言える。

自分が教師として抱いていた理念―

それは、常に自分の感情を満たすための大義名分に過ぎなかった。

自分だけではない。大林や同僚の教師達、そして校長も。それが現実だ。この深く、どろどろとした沼のような現実に、自分はどっぷりと浸かっていた。

この三年間の教師生活を通じて残ったものは、当たり前のような、そんな事実だけだった。

ちあきは気づいた。自分は理想という幻想に負けたのだと。

悔しかった。誰も何も報われないまま、学校を去らねばならないことが。

ちあきはその晩、もやもやとした気分のまま、最後の辞表をしたためた。そしていつもより早い時間に床に就いた。

こんな欝蒼とした気分はきっと、一晩ぐっすり眠れば、次の朝にはすっきりと消えてなくなっているだろう。そう思ったからだ。

今までの、全てがなかったことにして、自分の中から綺麗に消し去るのだ。そして人生をリセットさせよう。まだまだ先は長いのだから。

ベッドで横になりながら、ちあきは何度も何度も、心の中で自分にそう言い聞かせ、眠りに就こうとした。しかしどうしても寝付けなかった。自分を誤魔化せない、そんな自分の生真面目さが、心底憎かった。いつしか目から悔し涙が流れていた。思わずちあきは固く目を閉ざした。そして二度と目を開くまいと、心に誓った。

それからどれ位時間が経ったのだろうか? ふと気がつくと、いつしか周囲が明るくなっていた。ゆっくりと目を開くと、朝が来ていた。結局ちあきは、眠れないまま一夜を明かしていたのだった。

渋々起き上がると、まるで錘を埋め込まれたように、頭が重かった。こんな鬱々とした気分では、とても学校へは行けそうになかった。しかし杉本の言葉が、脳裏に響いてくる。


「絶対だよ。約束だぜ」

「分かったよ。これが最後だからね」


ちあきはそう一人呟くと、渋々起き上がり、身支度を整えた。

リビングに顔を出すと、父が一人、テレビを見ながら、トーストをかじっていた。ちあきは「おはよう」と気のない挨拶をすると、キッチンへ赴き、自分も朝食の仕度をしようとした。

その時父が、おもむろに声を掛けてきた。 


「なあ、ちあき。ちょっといいかな? もしだ。もし、お前の気が向いたらでいいんだが。実は父さんの知り合いの、東海新聞の記者が、お前からどうしても真実が聞きたいと言ってる。文化部の浅野さんだよ。浅野さんは、今の荒れた教育現場を何とか改善したいと、真剣に考えてる人なんだ。あの人は、この間お前が事件を否定したことについて、学校から強要されて言ったんだと、信じて疑わないんだよ。いいかい? あの人は決して興味本位で、事件のことを調べてるんじゃない。それだけは分かって欲しい。それに俺もあの学校の態度には、正直頭に来てる。どうだ? 今日の午後にでも、会って力になってやってくれないだろうか?」

ちあきはそれを聞くと、ふーっとため息を洩らした。

父の気持ちはありがたいが、その父の身勝手な行動のせいで、話がややこしくなったのも事実だ。ちあきはつい、反感を顕にして、父に言い放っていた。


「もうほっといてよ、父さん。確かに、学校の対応はひどいよ。でもね。学校を告発したって、何も変わらない。東京のお偉い理事長さんが、マスコミに圧力をかけてもみ消しちゃうだろうし、私もそんな恨みを晴らすような、卑屈なことはしたくない。何よりも学校の名誉が傷ついたら、生徒達が可哀想だしね。飛ぶ鳥跡を濁さずじゃないけど、このまま綺麗に身を引くのがベストだと、私は思ってる。それが最後に、教師としての私に残されたプライドなの。だからお願い。そっとしておいて」

「そうか」

父は残念そうにそう呟くと、黙り込んでしまった。

そんな父を尻目に、ちあきはそのままキッチンへ赴き、トーストを焼いた。

そしてミルクと一緒にそれをリビングに運ぶと、自分も黙々と食べた。だが朝食を取り終え、腹に血液が巡り出したとたん、急に眠気が襲ってきた。

眉間を、きりきりとつねられるような刺激痛が走る。

眉間を指でつまみ、辛そうに俯くちあきを見た父が、出掛ける間際「日を改めた方がいいんじゃないか?」と心配そうに言ったので、ちあきはその言葉に誘発されるように、再び寝室に戻ってしまった。

そしてそのまま、倒れ込むようにベッドに横たわった。

行くべきか、行かないべきか? 心の中でそんな葛藤と戦いながらも、どうにか小睡眠を取ることができたちあきは、眉間の刺激痛が消え去ったのを感じ取ると、慌てて上半身を起こした。枕もとの目覚まし時計を見ると、時計の針は十時を回っていた。

ちょうど卒業式が始まった頃だ。まだ間に合う。

ちあきは力を振り絞ってベッドから立ち上がると、慌てて身なりを整え、家を飛び出した。もう迷いも惑いもなかった。

 

                               (つづく)

ペタしてね