断言には、快楽がある。
言い切ることで、世界が単純になるからだ。

善と悪。
正義と不正義。
敵と味方。

断言は、複雑さを切り捨て、
判断の手間を省いてくれる。
怒りも、安心も、
すぐに手に入る。

だがその快楽は、思考を短絡させる。

政治の問題が、
いつのまにか人間の問題にすり替わり、
制度の欠陥が、血や出自の話に変わっていく。

断言は、
責任の所在を曖昧にする。
本来、問われるべき対象が、
怒りの向こうに隠れてしまうからだ。

考えるとは、
断言を一度保留することだと思う。
「本当にそうか」と立ち止まり、
複雑さを引き受けること。

それは爽快ではない。
だが、
社会が壊れないためには、
その不快さを引き受ける人間が
どこかにいなければならない。

このブログは、
断言の代わりに、
逡巡を書く場所でありたい。