家に帰ってきました。

自分の人としての魅力のなさはわかっていたものの
それを痛感させられました。

駅に迎えに来たお袋にただいまと言ったものの気まずい雰囲気。
そこから色々聞かれるもその雰囲気は続いた。

家に帰ってきて一番下の妹に会うも何か釈然としない感じ。

親父も帰ってきて俺が何かいうのを待っていた感じがするが
何も言えず、そのままスルー。

長女も帰ってきたが長女もスルー。

何くわず海外に出る前のように振る舞い、用意してくれた夕食を食べていたころ
家族会議が始まった。

妹たちがリビングに集められ、お袋が「お兄ちゃんに何か質問ある?」と伺うも
何も答えない妹たち。

俺が気まずかったのでぞんざいな態度をとると親父が切れた。
「海外に帰ってきて、大きな人間になってきたと思ったら何も変わっていないじゃないか」
「お前は何も気にしていないけど周りの人間は心配したぞ」

2、3年帰ってこないとブラフを立てたのにたった4ヶ月で帰ってきたことを咎められたのかと
思って謝ったが何も変わらない人間性について叱責された。
特にやりたいことに対する手段がないことを糾弾された。

自分も熱くなって「大きな人間って何?」
「具体的なことを言ったじゃん」と反抗した。
「先のことを考えていない、今のことを考えている」
自分の本質をつかれるとムッとされる
人間性の小ささは変わっていなかった。

母は仲を取り持ちつつも自分のやりたい仕事で不足しがちな「周りへの配慮の大切さと一般常識」を
持つべきと指摘した。
「親はいいけど妹たち、おじさん、おばさん、おじいちゃん、おばあちゃんも心配してるよ」
「もし周りへの配慮があれば帰ってきた時に何か言葉が出ていたはずだよ」

自分の本質を認めたくなかったので
親父が繰り返し言っていた「やりたいことをやる」ということを強調した。

すると「お前がやっていることは好きではなく、好き放題だ、周りの人たちに目を向けていない」と指摘された。

挙げ句の果てに一番下にも「周りの人間のことを考えたほうがいいよ」と言われ
ムッとしてしまった。

母のおかげで親父たちの指摘を受け入れることができたが
今回のことで自分の人間性の低さを痛感させられた。

特に周りへの配慮のなさと自分中心で生きている事実を
周りに感謝でき、他人を好きになるということに変えなくてはいけない。

誰一人として他の人がいないと生きていけない。
自分だけで生きているという考えを捨てなければならない。

ただ周りが自分のことを心配してるという言葉に
高校選手権以来の涙が流れた。
どんな人でも自分のことを考えてくれるだけでも
やはりめちゃくちゃ嬉しい。
母の「みんな心配してるけど何もできないからお金をあげてサポートしてるんだよ」
という言葉が響く。

今日のことからやりたいことへの計画性のなさもあるが
昨日の考えは捨てようと思う。

自分が何で他者に貢献できるのかという立場で
自分の仕事を探していこうと思う。

そして目指す人物像は
周りに感謝でき、なおかつ貢献できる人間になりたい。
それが親父の言う人間としての大きさなのかはわからないが
そういった人間になろうと思う。

そのために人と話す機会を増やし、人の気持ちを常に考えるようにする。
人を仲間だと意識して好きになる。

そうすれば尊敬する中田英寿さんのような魅力あふれる人になれるのかな

人を好きになることから始めよう。