今年、2月1日。桂川の河川敷にその親子は居た。

直前に息子は、思い出の残る市内を、母の車椅子を押して観光した。

息子が”もう生きられへん。ここで終わりやで”と言うと、

              母は”そうか、あかんか、一緒やで、わしの子や”と言った。

翌朝、降りしきる雨の中、死んでいる母親と、傍らで、首から血を流す息子を通行人が発見。通報した。

息子は一命を取り留めた。認知症の母の介護、自身の失業。行政に、社会に見放された末の犯行だった。

初公判。検察側は、被告の罪を追及しながらも、その献身的な介護を認め、

弁護側は、被告が、弁護をしている自分よりも人として優れていると言った。

被告の”生まれ変わっても、また母の子に生まれたい”という言葉に、法廷は涙に濡れた。

        判決     懲役2年6月、執行猶予3年

判決文を読み終えた裁判長は、

”朝と夕、母を思いだし、自分をあやめず、母のためにも幸せに生きてください”

と、続けた。

仲の良かった親子の姿はもうないが、その時、法廷には確かに血も涙もあった。



その企業が入っているビルの正面玄関を、すんなりと通った。

エレベーターに乗る。誰も不審な目で見たりはしない。


居た。赤いスーツ。日本人の趣味ではない。


近づいて、名前を確認した。面食らっている。当然だ。彼女の国で、こんなことをするのは、おそらく命を狙う者だけだろう。


戸籍はすぐ返すという約束をさせた。


女は言い訳を、流暢な日本語で話し始める。私は背を向けた。聞けば面倒を背負い込むことになる。


”プロ中のプロが、聞いたといえば聞いちゃった”


そんな言い訳はナンセンスだ。


衣装の威力を噛み締めつつ、私はビルを後にした。















福原 義春, ワダ エミ
100着の衣装に、100通りの人生を
MCDプロジェクト, 高橋 晴子, 国立民族学博物館
国際理解に役立つ民族衣装絵事典―装いの文化をたずねてみよう

女は既に日本企業の社長秘書という肩書きになっていた。

手際が良すぎる。おそらく、いや間違いなく、男と結婚する前に決まっていたシナリオ。絵を描いたのは女を国内へ手引きしたブローカーか、パブの従業員か、はたまた客か、現在のボスか。甘い汁を吸う奴をあげればきりがない。もちろん女にとってはパブで働くよりも日本企業の社長秘書の方が納まりは良いはずだ。


真相を追及すれば危険は避けられまい。しかし、あくまで私の仕事は男の戸籍を取り戻すこと。


さすがに企業秘書となった女のガードは固かった。本人に行き着けない。

だが手段はある。それは企業秘密だが・・・


経済と文化。高度な技術に彩られた国、日本。

この国に憧れを抱き、やってくる外国人。はじめは僅かな金を稼ぎ、国の家族に送る。それは自分の贅沢へと変わり、この国での地位への欲望に昇華する。この国のシステムが潜在的犯罪者を犯罪者へと変貌させる。http://bay-detective.cocolog-nifty.com/blog/


それを挫く、私は私の出来得る範囲で・・・

消えた女の行方。その依頼は鋭意継続捜査中だった。勝負は夜。


映画館へ足を向けた。As much as possible 観てやろう。1本目は映画評論家が何かで薦めていた「SILENT HILL-サイレントヒル-」詳しくはhttp://bay-detective.cocolog-nifty.com/blog/ を参照して欲しい。

2本目は「M:I:3」 冒頭から緊張を煽る演出。かなりストーリー展開予想を容易くさせる。つまりストーリーを楽しむ映画ではないという監督のメッセージと受け取った。小火器、重火器、ハイテク機器のオンパレード。派手に撃ちまくりってスタイリッシュに騙す。スパイ大作戦であるということを忘れていない。ワインをシャツに零すオールドスタイルは何かへのオマージュか、などという詮索を余所に話は進む。息をも吐かせぬアクションの連続。ハリウッドは最早アクションの飽和状態。如何に派手さ以外の要素を見せるか、という課題を抱えているが、トム・クルーズが身体を張っているだけあって仕上がりは良い。

気付くと上海。一番大事な”モノ”がいつの間にか手中。いきなりベレッタのプロ。一度死ぬから。・・・等々

映画の脚本・演出・製作全て含めてインポッシブルな映画であるという監督最大のメッセージと受け取った。


完全に映画の感想になった。一つ分かったことは、核心に触れず、映画を評するのは非常に難しいということだ。


パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
ミッション:インポッシブル 1&2セット
パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
M:I-2 ミッション:インポッシブル2
パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
ミッション:インポッシブル

男は、諦めていた。50もとうに過ぎ、こんな自分に結婚の機会など・・・

堅物で通っていた男。そうやって生きて来た。付き合った女の数も知れている。

そんな男が、仕事を通じて知り合った女。

女はパブで働いていた。クラブでもスナックでもない。22歳。娘がいればそれ以上の年齢差だ。それでも良いと言った。自分でなければ駄目だと。

男は舞い上がった。金は渡さない。愛があればこそ、そう決めた。

その朝、女は婚姻届を持ってやって来た。判を押す手が震えた。二人で役所に行き、帰りに少し贅沢なレストランで食事をした。夢のような時間。自分にこんな幸せが訪れるなんて・・・

三日後、女は消えた。

依頼だ。対象は消えた女。現在は日本人となっている。

指示通りに路地を進む。独特の匂いとともに”その家”が現れた。隣接する更地には猫たちが思い思いに屯していた。目的の”その家”のドアをノックする。ゆっくりとドアが開き、老婆が覗いた。更に強い匂いが目の前をちらつく。獣とその餌の入り混じった匂い。


     ”なんでしょう?”


”あの、実は猫のことで・・・”


     ”あ、ご迷惑なのは分かっているんです。でも、あの子たちは行くところがないんです”


迷惑だと分かっているのなら・・・そう言おうとしたが止めた。何か引っ掛かった。”行くところ”


私は以前、仕事である道路を使っていたが、多いときで週に2度、轢かれてしまった惨たらしい猫の死体を見た。

また、私が塾に勤務していた時、猫を轢いた講師がこう言った。


”あれは不可抗力です。避けられませんよ”


あの老婆と、猫を轢く者達。善悪だけの判断でないが、やはり命を奪う者に対して抱く拭い去れない嫌悪感を自分の中に見つけ、老婆から眼を逸らした。



ボイスレコーダーはノイズで溢れていた。

ファミリーレストランで録音などするものではない。次回はマイクを用意すると決めた。Photo

ノイズの海からウィスパーボイスを拾いながら、思考を巡らせる。

暴力を得意とする ”武闘派やくざ”

大卒、法に通じて狡猾に悪事を働く ”インテリやくざ”

そして、暴力を使わず、法も破らない精神的なやくざ、 ”メンタルやくざ” その存在に気づく。

所構わず大声で会話。子供はほったらかして旦那の陰口。学生服で人目憚らず喫煙。ドリンクバーをお替りし放題。これは別に良い。視線が合う人間を逆に睨みつける傍若無人な態度。巷には、メンタルやくざが溢れている!そうだ!

駄目だ。集中力を欠いている。拾った言葉でなんとか会話をつなぎ終えた。そして同時に ”メンタルやくざ”の分析も私の中で完了していた。


後輩に頼まれて観劇に出かけた。

池袋。東口を出ると、複雑な気持ちに襲われた。決して東口に西武が、西口に東武があるからではない。

当時、私はインテリア用品の営業マンをしていた。一つ売って数十円の僅かな利益を得るそんな仕事に倦んでいた。私の心は荒れ果て、道端で電車内で、見境なくケンカをした。その様は、さながらカミツキガメのようだったろう。(実際に噛み付くということではない)ある時、納品先のデパートでお客同士のトラブルが発生した。私は躊躇いもなく仲裁に入ったが一方の男が私に食ってかかった。風俗店の店員。私はまともにやりあって追い返した。

半月後。私は前述の件など忘れていつものようにデパートの従業員通用口に向かった。立ち止まる。見慣れない男たち、明らかに日本人ではない二人組。目が合った。男たちは腰に手を回すと何かを出した。ナイフ。いや、刃渡り30cm以上。刀と表現した方が良い代物だった。予感。私は踵を返すと全速力で走った。おそらくこのときに生涯の自己ベストを叩きだした筈だ。

公園を抜け、寺院の横を通り路地から路地を縫って走る。アパート。門の裏に隠れる。夕刊の差し込まれたポストから様子を窺った。目の前を鈍い光が往復する。どれくらいの時間そうしていたろうか。連中は去った。

数日後、デパートから一本の電話が入った。

”嫌がらせを受けている。二度と来ないで欲しい”

私は会社を去った。七年前のことだ。

後輩のファンタジーのような芝居を見終えて劇場を後にした。池袋の街を背に噛み締める。

”あの時、私の物語が終わらなくて良かった・・・” 


バルバラ ベルクハン, Barbara Berckhan, 瀬野 文教
グサリとくる一言をはね返す心の護身術

2000年12月30日に発生した世田谷一家殺人事件。

そのあまりに猟奇的な事件に日本中が震撼した。犯人は次々に人命を奪ったあとそのまま家に居座り、冷蔵庫のアイスを貪り、ネットサーフィンをし、翌朝玄関から堂々と出て行った。その非日常と日常が混在する様。それこそが我々日本人にとって異常以外の何ものでもなかったのだ。

この事件はきっかけにすぎなかった。以降起きることとなる”ある種の事件”とその”共通性” 徐々に明らかになって行く真実。

そこには生々しい、事件の描写があった。著者の齋藤寅氏はおそらく、どの刑事よりも貪欲に犯人に迫ろうとした。それが確かに伝わる。職務権限も拳銃も持たない人間がよくぞここまでと率直に感じ入った。

浮き彫りになるのは国の杜撰な政策と警察組織の弱点。誤った目算、初動捜査、証拠管理、失態の隠蔽。そして保身・・・

やがて遠ざかる犯人の足跡。

見えると見えざると、我々がそれを認めると認めざるとに関わらず、この日本は間違いなく変化の時を迎え、様々な問題を内包することとなった。刮目せねばならない。

それが国際化する国の、もはや”義務”である。


斉藤 寅
世田谷一家殺人事件―侵入者たちの告白

”彼れを知りて己を知れば、百戦して殆うからず。彼れを知らずして己を知れば、一勝一負す。彼れを知らず己を知らざれば、戦う毎に必らず殆うし。”

孫子の兵法の一節である。

あの一件以来、連日マスメディアが取り上げ、専門家やコメンテーターの議論は白熱している。確かに連中の意図や思惑を測ることも必要なことだが、更に重要な事はその情報をこの国がどう生かし行動するかということである。”対話と圧力”この言葉は呪文か何かか?

品川、池袋、新宿、渋谷・・・都心を歩く。口々に語られる”ミサイル”という言葉に現実味はなく、ただの”key word”。芸能ネタと同列だ。本当に興味があるのは仕事や恋愛や流行りの服。自分の日々の生活。”平和ボケ”それを悪いことだとは思わない。

だが覚えておいた方が良い。他国も自国と同様の価値観ではないということ。国・民間レベルで危険は驚くほど身近に迫っているということ。そしてその危険から、米国も勿論それ以外のどの国も、自国の軍隊ですら守ってはくれないということ。

悲しいかな、戦争放棄の国。己を守る術を知らず、仮初めの平和を貪る。

我々は戦争の愚を知り、平和を愛する気高い国民。されど視野を広げろ! 世界は未だ武力に満ちている。