今年、2月1日。桂川の河川敷にその親子は居た。
直前に息子は、思い出の残る市内を、母の車椅子を押して観光した。
息子が”もう生きられへん。ここで終わりやで”と言うと、
母は”そうか、あかんか、一緒やで、わしの子や”と言った。
翌朝、降りしきる雨の中、死んでいる母親と、傍らで、首から血を流す息子を通行人が発見。通報した。
息子は一命を取り留めた。認知症の母の介護、自身の失業。行政に、社会に見放された末の犯行だった。
初公判。検察側は、被告の罪を追及しながらも、その献身的な介護を認め、
弁護側は、被告が、弁護をしている自分よりも人として優れていると言った。
被告の”生まれ変わっても、また母の子に生まれたい”という言葉に、法廷は涙に濡れた。
判決 懲役2年6月、執行猶予3年
判決文を読み終えた裁判長は、
”朝と夕、母を思いだし、自分をあやめず、母のためにも幸せに生きてください”
と、続けた。
仲の良かった親子の姿はもうないが、その時、法廷には確かに血も涙もあった。